ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

感じる

ご訪問いただきありがとうございます。

 

何気なく言葉に出る「感じる」という言葉

これ、昔からの口癖のようです。

自分でも認識しています。

だって、感じるんだもん。(笑)

 

 

感じる

 

感じるって、5感や直感などの感覚的なことであり、感情的なことだったりします。

感情・状況・雰囲気・空気感などの”今を認識”することです。

心地よさを感じることもあれば、その逆もあります。

言語化出来ないことも多々あります。

言語化出来ない時は無理に言葉にしません。

例えば、英文を和訳した時に、微妙にニュアンスが違ってるというか

シックリこない時ってあるじゃないですか?

そんな感じになるからです。

本質が伝わらなかったり誤解が生まれると、元々の話がどこかに行ってしまったりズレたり・・・

このズレを修正しているうちに、話がすり替わってしまうなんてこともあります。

だから、そんな時は無理に言葉にしません。

言葉にしなくても

言葉に出来なくても

伝わる人には「あれあれそれそれ」みたいに伝わります。

言うなれば、テレパシーです。

テレパシーは特別なことでなければ、人間だけのものでもありません。

現に、動植と一緒に暮らしている人達の多くがそのような話をよくしますし

聞いてて腑に落ちます。

結局、感じることも、感じ合うこと(テレパシー)もごく普通のことなんです。

 

ただし、”感じやすい=優れている”ということではありません。

「気付かなくて(感じなくて)よかった。」ということもあれば

「気付かなかったことで、ややこしくなった。」ということもありますよね?

また、気付いた(感じていた)けど、知らんぷりするなんてこともありますよね?

人それぞれ、その時その時で、違うということです。

ひとつの現象をみて、全ての人が同じように感じるということもありません。

同じところに居ても、暑いと感じる人が居れば、寒いと感じる人が居ることがあるわけです。

だから、その環境を予め予測して羽織ったり、脱いだりできるような服装にするんですよね!?

なぜなら快適さ・心地よさを求めるからです。

何より忘れてならないのは、感じ方は人それぞれだということ。

特に我慢が常態化している今の社会では、この感じ方の違いを認めようとしない風潮にあります。

「苦しくても我慢しろ。」

「苦しいのはみんな一緒。」

「もう少しがんばろう。」

「もう少しの辛抱だ。」

「○○なったら大丈夫だから。」

同じ環境に居たって

同じような経験したって

感じ方は個人個人違います。

どれくらい違うとか、比べることも出来なければ

どう違うのかと、計り知ることも出来ません。

だって、感じるって個人の感覚だから。

その人個人のものだから。

だから、みんな一緒にはならないし、なり得ない。

だから、個人の尊厳が大切なわけです。

そしてこれまでも、今も

それぞれにとって大切な人権を奪い取ろうとしているわけです。

個人個人が当たり前に持っているはずの人権を、力づくで引き剥がそうとしている人達がいます。

そのことを既に知っている人。

段々窮屈になる現実に、「何かがおかしい。」と感じ始めている人がいます。

「このままでいいのか?」と現状に疑問を感じている人もいます。

「感じる」から、「おかしい」と思うわけで

「おかしい」と思うから、「知りたい」と思うわけで

「知りたい」と思うから、「調べる」わけで

「調べる」から、自分なりの「事実を知る」わけで

「事実を知った」から、その事実を踏まえどうするのかを「考える」ことが出来るわけで

「考える」ことで、「行動」出来るわけです。

これは個人個人がすることです。

誰かに決められるものではありません。

個人の尊厳。

基本的人権

本来わざわざ言うことでもないようなものが憲法にあります。

この憲法を今、変えようとしています。

外の勢力を利用して

外の勢力と結託して

世界統一政府創設の為

一国の憲法を変えようとしています。

 

6年前の今日、このブログをスタートしました。

この時以前から、今も、『個人の尊厳』であり、『人権』

全ての個人にとって必要不可欠なものだと、強く強く強く感じています。


 

違和感・疑問・「おかしい」という感情

これらは全て、感じていることを意味します。

感じるから、考える。

感じながら考える。

感じることも、考えることも、人間として機能しているから出来ることだと僕は思います。

 

実際のところ、全ての個人はそれぞれの現状把握が出来ているのでしょうか?

”現状把握”、即ち、今をどう感じているのでしょうか?

情報社会とも言われる現代は、大手情報メディアによって、政府によって

テレビやネットを使い、あなたの思考・あなたの意識に、先入情報を植え付けます。

毎日毎日繰り返すことで、刷り込まれていきます。

刷り込まれた先入情報により、予め思考が操作されます。

思考が操作された状態のところに次々関連情報や差し替え情報が届きます。

これにより、先入情報以外の情報が届きにくくなります。

この時点で既に、人間としての機能を失いかけている状態です。

そもそも先入情報を絶え間なく届けるのには理由があります。

その理由とは、「個人」を破壊することです。

”情報という兵器”を、次々と送り込み、人間独自の機能を奪い服従させるためです。

僕が言う”個人の破壊”とは、5感・直感・あらゆる感情を奪い、思考停止にすること。

誰かの指示に依存し、それが無ければ生きて行けないと思わせ続け、人間としての機能を奪うこと。

個人の尊厳・全ての自由完全喪失させることです。

 

人間が生きるのに、脳が一番大切という医療関係者がいます。

脳が、人間の全ての命令を出しているかのような発言する脳科学者がいます。

しかし、先に述べた5感・直感・感情などは

脳で感じるものでもなければ

脳から溢れ出るものでもなく

脳によってつくられるものでもありません。

ハートで感じるものです。

脳があるだけでは、直感的な発想はなく、脳は、ある意味AIみたいなモノ!?だと思うんです。

人間の脳より、高品質?ハイスペック?なのがAIなんでしょ!?

脳の代わりは作れるけど、直感やひらめき等、感覚的なものは作れないってこと。

こういった観点から、感じることって人間である証だと思います。

 

感じることや感覚って、知識や情報以上に大切なものだと思います。

なぜなら、知識や情報では人間を作れないから。

 


 

人間として

個人として生きるためには、欠かせないことがあります。

まずは、呼吸をすること。

そして、感じること。考えること。行動すること。

これらの違いが個性であり、個人を表すものだと思います。

 

外の情報より

まずは自分のハートを感じてみよう!

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。