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制服による征服

ご訪問いただきありがとうございます。

 

公立の小学校を卒業し、中学に入学する時、初めて制服を身にまとう子供達。

その中学に入学し、初めての授業が謎の工作だそうです。(苦笑)

制服を身にまとったと同時に、新たな征服が始まります。

 

まるで自らを危険な存在と認め、「近づかないで下さい。」みたいな感じ・・・

しかも、全員でやる。

全員にやらせるって、いったいなんなん?

 

 

制服による征服

 

 

中学生になる時、”制服”という存在自体に違和感がありました。

着づらいし、暗いし、何と言ってもみんな同じ格好。

しかも、見るからに軍服ちっく。

(後に知るのですが、実際に男女共軍服をモデルにしています。)

ちなみに、当時僕の通った中学は、学年でジャージの色が違っていました。

入学した時点で該当の色が決められ、3色(3年)でローテーションされていました。

なので、学校だけでなく、学年まで丸わかりです。

制服なんて高額で、何着も買うわけでもないし、毎日のように着る。

だから、汚したらめんどくさいし、全く融通が利かない。

当時、「この仕組み考えた人バカなの?」って思っていました。

(幼少の頃から、ほとんどの大人が嫌いでした。

言葉ひとつで、自分の思いどおり動かそうとしているのが嫌でした。

その為に、嘘ばっかついているのが何より嫌でした。

わからないことを、わからないと言わず、知ったかぶりする大人。

相手が子供だとわかっているからなのか、いつも上から目線の命令口調。)

そんなこんなで、幼少期から大人は嘘つきで心の腐った生き物だと思っていました。

だから余計に、そんな大人達の言うことやることに流されている自分がバカなのかも?って・・・

 

子供だけならまとまるものも、大人が介入するとややこしくなることが嫌だった。

心の底から「大人はてクソ!!」って思っていました。(もちろん、みんなじゃないけど)

だから、大人にはならないと

これ以上騙されないと

それはそれとして、当時は制服による違和感の正体がわからないままでした。

 

いつも「はい」ばっか言わされ、「嫌」とか、「おかしい」は言いにくかった。

けど、今は違う。

「嫌なものは嫌。」「おかしいものはおかしい。」


 

社会人を何年もやってたある時ふと思ったんですよ。

”制服”の目的。

”制服”が存在する理由。

それは、自由のはく奪。

集団意識の植え付けにより、”個人”より”組織”を重んじるという考え方の刷り込み。

これにより、立場が上の者に対する忠誠心を植え付けられるだけでなく

組織に対しての自己犠牲の精神まで植え付けられていると。

この刷り込みを、教育、指導、研修、あるいは修行などという表現を使い正当化しています。

正当化することで、それ以外のことは全て間違い。悪いこと。という印象を周囲にも与え

「私たちにお任せ下さい。」

「これで戦争の準備は出来ました。」みたいな感じですよね。

制服の元ネタって軍服ですもんね!?

その為の教育を幼少時からせっせこせっせこ繰り返しているわけですから。

従わないものが居た場合は私たちが成敗しますみたいなヒーロー!?

ヒーローは、正義の為なら何をしてもいいという雰囲気づくり。

これを子供の頃からテレビを使って植え付けていますよね?

こうして、ピラミッド社会(組織)を動かす権力者の手先!?として活動する人達が大勢いるわけです。

特別意識を持った中間管理職的な人達。

もしくは、そうなりたいと考えている人達。

身分や立場を盾にした、権力者側の使いっパシリ。

その中には、職業差別的なことも含まれています。

「制服」・「職業」と言ってすぐに浮かぶのが

制服を身にまとい、一般的には正義の味方の象徴的存在。

実際の役割は、権力者と権力者がつくったルールを守ることを行っているK官。

白衣を着た、高学歴の正義の味方を装いながら

専門知識に乏しい人に対し、時に笑顔を交えテキトーな言葉で恐怖を与え

人の命をモノのように扱い、お上と権力と補助金の為なら何でもしますみたいな人達。

インチキ検査やワ〇チンを、「みんなの安心の為」、「あなたの大切な人の為」

などと御託を並べ強く・強く推奨し、真実やリスクを伝えず、平然と荒稼ぎする人達。

(老人ホーム施設にアレを打ちに行った時、集まった人を見てお金に見えたと言った派遣社員

なんでも、今がバブルだとか!?

「今のうちに、打って打って打ちまくって稼ぐぞ~」だって・・・)

人の命より、お上の為・補助金の為・自分の稼ぎの為にまともな説明をせず

自分では打たないものを他人に打ちまくる人達。

そして、スーツ着ているだけでちゃんとした人と印象付けるテレビに出る専門家達。

この専門家??の言葉を盾に同調する、政治屋・行政・会社などあらゆる組織の中枢にいる人達。

(実際、枠組みを決めているのは官僚だと思いますが・・・)

この様に、権力者側にいる人達は、ピラミッド社会の中で

職業や肩書による”立場”を利用して、強い特別意識を持っています

なので、最初から、対等な関係もなければ、人権など存在しないのです。

だから、好き勝手出来ちゃうんです。

 

立場が変われば、言うこともやることも変わると言うけど

それは、その人次第。


嫌なら行動で示せばいい。

特別な何かをするのではなく、ただ好きに過ごす。


 

今日は制服について述べましたが

服装だけじゃないけど、やっぱ服装を含めた見た目の印象ってありますよね?

スーツ着ているだけでちゃんとした人とか、ちゃんと仕事している人とか言うもんね?

(あいにく、どちらにも該当しません。笑)

こんな僕に、連れが言うんです。

僕がスーツを着て、ノーマルで外を歩いていたら、周りの人の印象も違うんじゃない?・・・

特別な主張をするのではなく、服装を変えるだけ。

スーツを着た僕のノーマルな姿をみて

「自分も外そうかな?」

「ノーマルで電車乗ってみようかな?」

って思う人も居るんじゃない?って話しです。(笑)

それ、一昨年から何度か考えました。

けど、スーツが1着もないんです。

「普通、1着くらい残すよね!」って何人かの人にも言われたけど本当に無いんです。

それだけの為にわざわざ買う氣もないので断念しました。(苦笑)

 

未だに謎。

人生最大の謎。


 

世間の人達が何を恐れ、何を守ろうとしてアレをしているのかはわかりません。

アレ自体が既に制服のような存在であり、身体の一部!?のようにも見えます。

ホント新たな制服によって、この国の人が征服されているように見えます。

しかし、アレをどうするかなんて個人が決めること。

ただ、個人の意思だけで決めているようには思えません。

なんであれ、他人が決めたことに慣れるってことは怖いことです。

なぜなら、考えなくなるから。

自分が自分で居られなくなるから。

 

 

なんの制限もないのが本当の自由。

だから制服は要らない。

制服だけじゃない。

全部、好きにすればいい。

個人個人が好きにすればいい。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

普段の格好。この格好が好き。(爆)