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お金に執着する理由

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

この前、昔勤めていた会社の同期のひとりから電話があり着歴が残っていました。

そもそも辞めて7年半になるし、しかも数年ぶり。

ただ、わざわざかけなおすかどうかしばらく迷いました。

けど、とりあえずかけてみたんです。

すると中身のない内容でした。

ホントどうでもいい話でした。

彼はこっちの近況を聞き

どこか勝ち誇ったかのように「これから食っていけんのか?」だって・・・

さらに

「こっちはよ。

席についてさえいれば鼻ほじってたってボーナスもらえんだぞ!」だって・・・(苦笑)

僕は「大企業様はすげーな。」って言ったら

得意げに「いいだろ。」って・・・

ちなみにこの電話

あと何日かでボーナス支給日って日でした。

 

 

お金に執着する理由

 

 

最近考えたこともなかったし

そもそも接点が無かったけど

やっぱ大きな組織にいる人ってこんな感じなんだなって思いました。

そして改めて自分には関係ない話だと思いました。

結局『お金だよ。』と言いたいのだと思ったのですが

そもそも、なぜこれほどお金にこだわるのかをちょっと考えてみたくなりました。

だって、多くの人がこんな感じでしょ!?

だから、お金に固執する理由。

根本的な考え方を想像してみようと思います。

と思った今、あっさりと

あまりにあっさりとその答え?要因?根本的原因が浮かびました。

それは不安であり、恐れです。

そうです。

恐れです。

そして、あれゆる恐れの解消法?対策?に

お金が欠かせないという考え方です。

 

 

お金お金。

何をするにもまずお金。

そして、お金を得る手段は人それぞれ。

なわけですが、根底にあるものはやっぱ恐れですよね?

僕が子供の頃、一部の大人達がこう言ってました。

「”クリスマス”は、苦しみます。」

クリスマスが終われば正月が来て(お年玉をあげるのに)苦しみます。」って

子供ながら、少しだけ察しました。(苦笑)

けど、「なんだこの人?」とも思いました。

”お年玉”というある意味謎の風習。

そして周りの人達の様子を気にする気配。

「周りはどうしてる?いくらくらい?」みたいな感じ??

こういった場面に限らず、特に子供がいればなおさら考えます。

自分も同じような境遇になった時、迷ったことはありました。

確かにストレスも感じました。

なぜ、ストレスを感じたのか?

それは周りに合わせようとするから。

納得させたいと思ったから。

なにより、自分と自分の取り巻きに恥ずかしい思いはさせないという思い。

結局のところ、周りの目を気にし

他人の反応を気にしているんです。

自分がどう見られているか?どう思われているか?

加えて、これらを想像し、相手(他人)に映っている自分自身を評価?

しているみたいに・・・

それもこれもひっくるめてお金で解決できると思い込んでいるかのような考え?

 

今となっては自分のことすら思い出せませんけど

気持ちの何処かで、その都度お金で解決しよう。解決できる。

こうした不安や恐れ、ストレスを払拭する為にお金が必要。

こうした思考の繰り返しと

こうした思考を元にした行動の癖によって

お金に執着する癖が染みついているのでは?と思ったところです。

明確な目的の為にいくらお金が必要かではなく

不安や恐れから逃れるためにお金が必要という考え方。

そして、不安や恐れは自分自身が生み出しているということ。

このことに気付かないことで、不安は続きお金に執着する。

結果、何かに頼ろうとし、依存し続けます。

 

冒頭に述べた

大企業に属していれば席について鼻をほじっててもボーナスがもらえる。

という彼の言葉の奥には、ゆとり以上に不安を感じました。

不安を逃れるため、やりたくもないことをやりたくもない人達とし続ける。

入社した日から今尚不満と不安を抱え続けている!?

僕はそう感じました。

 

 

けどさ、やりたくないことを仕事にしている人って今も結構いるんでしょうね?

それって不思議です。

けど、そうしている人にとっては当然。

それが誰かの為って思っていますよね?

それどころか、社会の為、国の為な~んて・・・

何かの為に自己犠牲?

お金は大事だけど自分のことは大事に出来ない?

自分よりお金が大事?

お金が無ければ自分は存在できない?

いやいやそんなことはありません。

それよりもなぜ、不安なのか?

なぜ不満なのか?

我慢が必要なのか?

という根本的なことを考えてみては?いかがでしょうか?

ちなみに僕は、そうしたことを何度となく考えました。

忘れるたびに思い出しました。

これから先も忘れそうなことがあるならば、止まり思い出すことでしょう。

 

 

お金に執着し、その為に周りを気を使い、自分にいろんな制限をかけて生活するなんて

僕には出来ませんし、する氣もありません。

むしろ、なにより自分を大切にし

誰より自分を優先しています。

そして、そうすることが当たり前になっています。

そりゃそうです。

本気で意識し始めてから約10年。

こうした生活をはじめて7年半以上続けているんですから。(笑)

ただ、そんな僕でも知っています。

お金は必要だってこと。

だから、何の為にいくら欲しいって考えます。

ただ漠然とお金が欲しいという考え方とは意味が違います。

今はまだ実現はしていませんが

そのプロセスを体験しているところです。

「好きなことを仕事に。

気付いたら仕事になってた。」

そんな現実を創りたいと思っているところです。

また、それ以上に考えているのは、前回書きましたが

何事も自分の氣がすむようにする。

ということです。

なので、他人がどう思うなど全く気にしていません。

だって僕の人生だもん。(笑)

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

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出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

幼少期、お金とは”紙”であり”硬貨”であることを知っていました。

ところが、大人になるにつれ「お金」の正体が分からなくなっていきました。

今は、幼少の頃以上に理解出来ています。


 

お金の本質が理解できない。

明確な目的が無い。

故に、お金に執着し、お金の為に組織と組織の中のリーダーに依存する。

だから権力者は存在する。

恐怖を演出し、お金と数で支配する。

しかし、何が恐怖なのか?根底にあるものが分かれば振り回されることはありません。

 

 

似ているようで全く違うもの。


 

全てにおいて、根本(本質)を知ることがとても大事です。