ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

否日常に巻き込まれない為に必要なこと

ご訪問いただきありがとうございます。

 

先月から今月にかけて日常の景色に少しばかり変化を感じます。

他人に影響されたくない。

世の中に流されたくない。

そう思う僕も、なんの影響も受けないとは言えません。

「個人個人好きにすればいい。」

いつも本当にそう思っています。

その事実は変わらないのですが

違和感を覚える光景につい目がいってしまうことがあります。

今になっても

変わり果てた日常に

狂った日常に

憤りを感じずにはいれません。

しかし、そこで立ち止まるつもりはありません。

だって、自分の現実は自分で創るんだから。

 

 

否日常に巻き込まれない為に必要なこと

 

 

3年経った今も、外でみる景色はさほど変わり映えしません。

そして、その光景をみると何とも言えない気分になります。

特にフォーカスする氣もないのですが

視界に入るとどうしても気になる時があります。。。

かと言って3年前に戻りたいとはこれっぽちも思いません。

なぜなら、その頃の社会も十二分にイカれてると思っていたからです。

狂っていると思っていたからです。

 

レップーの計画を、中間管理職である政治屋さん達が派手にやらかしたことで

あまりに辻褄が合わないことをやり続けていることで

庶民も事実を知ることになりました。

これまでの多くの嘘を知ることになりました。

更にこれからの計画もイメージ出来るくらいになりました。

何より、自分がされていることをこれまで以上に意識するようになりました。

それによって、自分自身の生き方をより真剣に考えるキッカケになったと思っています。

と言っても、それがごく少数だということもわかりました。(苦笑)

(権力者達が好き勝手やってきたことは比較的認知された氣がしています。)

 

これまでやり過ごしていたこと。

先送りにしていたこと。

見てみぬふりしていたこと。

こうしたことを考えるキッカケになるのでは?

と3年前から思っていました。

個人的にはむしろラッキーかもって・・・

しかし、自分がイメージした状況にはありません。

それどころか大きくかけ離れた日常に誘導され続けています。

昨日も大手マスコミがこぞって報道していたのが下記のニュースです。

 

 

元ワ〇チン担当大臣が

米国では2万回打っても平気と言っていた大臣が

デマが嫌いな大臣が

デマを撲滅すると言ってた大臣が

次の総理の椅子を狙っている?大臣が

今はこんなこと言ってます。

「デジタル社会を新しく作っていくための

マイナンバーカードはいわばパスポートのような役割を果たすことになる」

今後の計画を公にしていました。

官房長官

「よりよい医療を受けてもらうことも可能」と述べています。

この意味を考えてみて下さい。

あなたに必要かどうか考えてみて下さい。

 

政治屋がこれまでやってきたことを思い出して下さい。

そしてどんな風に日常生活が変化したのか?

なにを目的に否日常がつくられたのか?

誰が創ったのか、よ~く思い出して下さい。

そうすれば彼らが何をやってきたのかがわかります。

ついでに、やり口もわかると思います。

これまでの嘘もわかるでしょう。

誰の為のことなのか?

何の為のものなのか?

言い方を変えれば誰が得をするのか?

誰がどんな損をするのか?

あなたにとってどんなものなのか?

 

 

否日常に巻き込まれない為に

まずは事実を認識する必要があるということです。

否日常を先導する人達の目的・意図を知る必要があります。

また、それとは別の認識が必要です。

その認識とは、自分の現実は全て自分が創っているということ。

また、社会とは個人が集まって創っているということ。

これらを認識することが否日常に巻き込まれない為に最初に必要なことです。

加えて、シッカリと目を見開いてみることです。

ある意味、権力者を監視することです。

 

よくね、非日常を求める話を聞くのですが

その根本的要因って、日常が楽しくないからでしょ!?

そして、その理由は、自分の日常を人任せにしているから。

こうして出来た不満を解消するために我慢して仕事をし

お金を貯めて休みをとって旅行するとか!?

それもつかの間の

その場しのぎの

そして、繰り返す。

だから日常が否日常のまま。

満たされないまま。

旅行に限らず、非日常を求める理由の多くは現実逃避!?

そして根本原因は人任せ!?

 

自分をコントロールしようとする人のことを知らないだけでなく

自分自身がなにをしたいのか?

どうなりたいのか?

それすら知らない?

決めていない?

だけじゃないのかと思います。

 

そもそも、日常が満たされていれば現実逃避することもないし

過度に非日常に期待することも無いと思うんです。

そもそも、非日常は日常の中の一部なわけで

だからこそ、日常について考えた方がいいのでは?と思うんです。

そして、日常を快適にしたいならあらゆることに我慢しないことです。

嫌々受け入れないことです。

従わないことです。

否日常に巻き込まれない為の最終手段は従わないこと。

これまでも何度となく言ってきましたがとても大切なのでもう一度言います。

従わないこと。

これ以外にありません。

それと、さっきも言いましたが権力者の計画を知ること。

これを知らないで居ると

『申告がないので”承認された”(受け入れられた)』

これが今からの彼らのやり口です。

まあ、これまでもそんな風潮ありましたし

これからはより一層、庶民の声は無視したまま

一方通行で計画を遂行しようとすると思います。

だからこそ、意思表示が必要なわけで

意思表示するために自分がどんな日常を過ごしたいのかを

普段から決めておいたらいいと思います。

そうすれば、急に何かを何か言われても

「自分はこうする。こう考える。」と言えます。

 

いろいろ言いましたが

結局今日何を言いたいかと言えば

『嫌と関わらない。』ってこと。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

非日常とは日常の一部。

否日常は我慢の日常。

ならば、日常を充実させるのがいんじゃない?


 

人任せをやめる。

自分で決める。

ただそれだけ。


 

自分のことを知っているのは自分のハート。

だからハートの声を聴く。

ハートの声と行動を一致させる。

この積み重ねで揺らぎない核が出来、自分スタイルが出来ます。

このスタイル、唯一無二の個性を大切にしよう。