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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

他人の言葉は、所詮 他人の考え

ご訪問いただきありがとうございます。

 

「他人の目が気になる。」

その理由は、自分の言動や振る舞いで

「何を言われるかわからない。」

「何をされるかわからない。」

「自分の身近な人に何か影響をおよぼすかもしれない。」

こうした不安や恐怖心を持った人の思考です。

なぜそう思うのかって?

昔の自分がそんな風に考えていたことがあるからです。

けどね、そんなことを考えること自体

自分にとってとても大きなストレスになっていました。

だからね、他人より自分を氣にするようにしたんです。

他人の言葉なんて、所詮、無責任なんですから。

その証拠に言うだけ言って何もしないでしょ?(笑)

 

 

他人の言葉は、所詮 他人の考え

 

 

「他人の目が気になる。」ってことを認識したのは物心ついた頃からです。

当時の母の言動や振る舞いをみて、そういうものなんだと思い始めました。

母を疑うという氣もなく、素直に受け入れていました。

しかし、他人の目を氣にすることに違和感を覚え窮屈さも感じ始めていました。

すると、その窮屈さを我慢するよう教えられました。

「なんでも真面目にやりなさい!」

「相手(他人)のことを考えなさい。」

しつこく言われていました。

言われていた?というより、叩き込まれていた?感じです。

こうしたことが影響したのか、妙に空気を読んで先回りすることがしばしばありました。

「配慮」なんて言葉は知らないけど、他人を優先すること!?

が自分の中で当たり前になりつつありました。

しかし、「これは我慢出来ない。」と思ったことは

なにがあっても首を縦には振りません。

そのせいか、きかん坊扱いです。(笑)

僕をコントロールしようとする大人が至る所にいました。

その大人達は子供の話を聞かないばかりか

一方的に自分達の考えを押し付けられることが多かったので

マジで大人が嫌いだったし、心の底から軽蔑していました。

大人という種類のほとんどの人は自分の考えを押し付け

会話すら成り立たないどうしようもない人達なんだと思っていました。(笑)

すると、大人達は「お前の為」「お前の将来の為」という言葉で揺さぶってきました。

しかも、頻繁に持ち出すようになりました。

この言葉に、これまで以上の胡散臭さを感じながらも

時間の経過とともに、飼いならされていった気がします。

それでも、両親と一部の大人はこんな僕を尊重してくれていました。

特に親は、無理強いしてもムダだということを理解していました。

加えて、親子であれ、僕の全てに対し自分達が責任を取れないことを知っていました。

そのせいか、父親からは「あーしろこーしろ。アレするな。コレするな。」など

一度も言われたことがありません。

また、子供にも言ったことがありません。

 

親子でさえ、そもそも他人なわけです。

家族と言えど、両親と子供の血はつながっているけど

その両親は血のつながりもない他人同士です。

なのに、なぜか血のつながりに執着したり

血のつながりによる連帯責任を負わされたり

誰かの都合で血のつながりを利用される謎?

(家族に誰かがなにかやらかすと連帯責任??

兄弟・親戚だからと言いがかりをつけられ責任を求められる謎??)

これこそが宗教的考えでありレプティリアン思考です。

常に組織(家族)に紐づけられ

何事も連帯責任という概念を刷り込み

個人が自由になれないような仕組みにしているのです。

こうした仕組みを管理運用しているのが行政

ここで集めたあらゆる情報を利用するのは政府官僚を含めた行政であり

それらを操る権力者やその取り巻きの人達が動かすあらゆる組織です。

だから、常にどこかしらの組織に所属するよう誘導しています。

その代表的なものが就活です。

(最大の目的は搾取すること。)

どこかしらの組織に所属することを当たり前のように誘導します。

個人では何も出来ないから組織に所属した方がいい。

その為には、幼少期から競争に勝っていい学校に行く。

そうしなければ、満足な生活を送れないという刷り込み。

組織に属さなければ社会的信用もなく、いろんなことが制限されるような仕組みになっています。

結局、どのピラミッド組織に所属しても競争は無くなりません。

みんなで・・・と言いながら、そこには常に競争があり優劣を判断します。

それにより個人の価値が決まるかのような雰囲気づくりがされています。

にもかかわらず競争相手(みんな)と仲良くしなさいと言います。

その代わり、結果を出さないと意見も言えません。

更に数の多い方にみんなが合わせなきゃいけない。

あるいはリーダーの言うことに従わなければいけない。

従わなければ排除される。

こうしたことを教え込まれます。

本来は、優劣ではなく、ただの違いであり個性です。

しかしこうした考え方は権力者にとって都合が悪いのです。

ピラミッド社会には不要な考え方なのです。

権力者にとっては、個人も個性もじゃまなんです。

何も考えず、ただ従い続けていればいいと思っています。

 

 

やっぱね、教育の影響力ってものすごいです。

そもそも、学校という組織が

国という組織が嘘をつくとは思いませんよね?

メディアも含め、嘘をつかれていると思いたくないですよね?

何年・何十年という月日が過ぎたある時

「実はあれ、嘘なんだよ。」

「あれもこれも嘘なんだよ。」

「彼らはこんなこと考えているんだよ。」

なんて言われても、すぐには受け入れられませんよね?

これまで自分が騙されていたなんて信じたくも考えたくもないし

自分が信じていたものが嘘だなんて思いたくもないでしょ?

しかし、こういったことが数え切れないほど存在するんです。

誰かがつくった幻想の中に多くの庶民が閉じ込められている。

これは僕の中の真実です。

かといって信じて下さいなんて言ってるわけではありません。

「僕はこう思う。」

「こうした考え方です。」

ってことを伝えたいだけなんです。(笑)

こうした方が楽しくなれると思っているからです。

ただそれだけです。

そして、僕を疑って下さい。

いろんなことを疑って下さい。(笑)

そうすれば自分で考えることが出来ます。

何かを疑問に思う。疑う。ということは

自分の頭で考えるキッカケになります。

「自分はこう思う。」という自分の中での確証?みたいなものが出来ます。

そういったものを集めているうちに核が出来ます。

その核が大きくなります。

ずっしりしてきます。

揺らがないものが

ぶれないものが出来ます。

その途中で、これまでのものの見方考え方も少しづつ変わります。

より真実にたどり着きやすくなります。

僕自身、そんな風に感じています。

おかげで、外の情報に揺さぶられません。

というか、興味が湧きません。(笑)

ただ、時々ニュースも見ます。

ニュースをみれば権力者達の考えていることが自分なりに想像出来るからです。

自分にどんな影響を与えようとしているのかみています。

自分事としてみています。

彼らの計画を知っておくことで彼らと関わらない方法を考えます。

 

全ては自分の為。

自分が快適に過ごす為です。

他人より自分にフォーカス。

自分の外より自分の内にフォーカス。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

そもそも責任なんて存在しない。

自分の現実は、自分の思考によってつくられたもの。

ただ、それだけのこと。

 

 

ピラミッド組織に所属するのが常識?


 

まずは自分にフォーカス!

いつも自分にフォーカス!!