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『暇』と書いて『じゆう(自由)』と読む!?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

「今暇?明日暇?いつ暇?」

随分聞かれた覚えあります。

今では、聞くことも聞かれることもありません。

というか、誰かに対し「暇?」という問い掛けをした記憶がありません。

そして、この先もないでしょう。

 

 

『暇』と書いて『じゆう(自由)』と読む!?

 

 

「忙しい」が口癖の人もいれば

反対に「暇」がちょっとした口癖の人もいます。

なかには”どっちも”って人もいます。

ちなみに僕自身は「暇?」という感情?感覚?状態?を認識したことがないというか

『暇』そのものが、存在しないものだと思っています。

つまり、つくられた概念。

もし仮に『暇』が存在するというなら、それは自由だということです。

だって、暇って何でも出来る状態のことですよね?

なのに、やりたいことが無い?

やりたいことが無いことに対する不満??

謎です。

僕には理解しがたいです。

ただ、想像は出来ます。

なぜなら、『暇』を語る人とそこそこ遭遇してきたからです。

中でもやっぱ知り合いが多く存在していた会社という場所では特に遭遇してきました。

「忙しい」が口癖なのに、たまに余裕が出来ると「暇だ。なんかない?」

手持ちぶたさが苦痛なようで、周囲をキョロキョロしたりして?

そして良かれと思ってやったことが災いとなり、結果マッチポンプになったり。(笑)

確かに自分でも、バリバリの社ちくんの時、手持ちぶたさを感じることありました。

今になって思えば

「何かをしなくてはいけない。」という強迫観念であり

「時間と引き換えにお金をもらっているから。」という罪悪感だった氣がします。

しかし、これが洗脳状態ってヤツなんです。

とりあえず”一人前の社畜”と言うか、社畜の流儀と言うか・・・

しかし、多くの人はこれが当たり前と思っています。

だから当然のように相互監視し合い、社畜同士の評価評論。

あるいは”チクリ”という報告までしたりされたり!?

結局、『暇』と言いながら監視に忙しく?みんなが不自由なんです。

思考もハートも何もかも、ぜ~んぶ不自由なんです。

こんな風になっちゃうくらい組織の洗脳ってすごいんですよ。

組織にいるってだけでそんな風になっちゃう。。。

その根本原因は、やっぱ数です。

とにかく数による圧力。

中身なんてどうでもよくて数が多ければ正しい??

正しくないヤツは正しい人に合わせろ!

でなければシカトする?罰する?みたいな雰囲気。

ホント謎です。(苦笑)

組織ってカルト宗教そのものです。

まず自由じゃないことが当たり前になっているもんね。

だから、ほとんどの人は、その不自由さを不自由とは思っていない。

そして、決められ、与えられた休みを自由な時間だと認識しています。

有休を使う時は数少ない権利にも関わらず

周りに気を使い、時にお金を使い、感謝の意を表すみたいな?

ホント謎です。

けど、それやっってました。(苦笑)

当たり前にやってました。

普通に社ちくんでした。

 

これだけでも十分おかしいのに

そういったことが会社の中にとどまらないんです。

日常生活の中でも普通になっているんです。

社会通念みたいになっているんです。

24時間の中心に君臨するのは自分ではなく、誰かでもなく、会社の仕事。

その他の予定は仕事の空き時間にってな感じ。

ちょっと大袈裟かもしれませんがそんな時期結構ありました。

そのことに気付いた時、一度修正するのですが続かなかったりします。

要するに元に戻ってしまうんです。

それまでの習慣、染みついた思考の癖によって巻き戻されてしまうんです。

何気なくやっていたことが習慣化され、無意識でやっちゃうんです。

今のマスク社会もそういうことです。

思考が凝り固まっているんです。

だから気付きません。

感じません。

麻痺しています。

自ら自由を放棄した状態です。

常に自分以外の何かを優先し

何かの役に立とうとし

それを感じられないと存在する意味がないなどと自己嫌悪。

ある期間の僕はこんな感じでした。(苦笑)

しかし、こうした状況から抜け出したいと思い僕がやったことは

思考を変える事でした。

思考を変える要因は「おかしい」と思う感情と「嫌だ!」と思う感情。

この二つの感情の矛先は、最初は自分の行動に対してでしたが

次第に、自分自身に向き始めました。

やっていることがおかしい。

こんな自分は嫌だ!

これは自分じゃない。

だから変えよう。思い返すととてもシンプルなものでした。

すると、これまで見えていなかった現実が客観的に見え始めました。

なぜこうなったのか俯瞰出来るようになりました。

これまでのことも

この3年の出来事も

現在のことも

この先のことも

ハッキリとはわからないまでも、自分なりにある程度の予測は出来ます。

多分、多くの人がそれぞれ予測していると思います。

あとはどの方向に進むかです。

人任せにするか?自立するか?

そして、それを決めるのは誰かではなく、個人個人だということです。

 

 

全ての選択権は個人個人にあるのですから

ぶっちゃけ、他人の言うことなどどうでもいいのです。

僕の言ってること。

あなたにとってどうでもいいんです。(笑)

 

ただ、僕ら人間は肉体を持っていて

その肉体を脱ぐ時が必ず訪れます。

それまでどう過ごすのか?

今この瞬間どう過ごすのか?

そう考えれば、暇だとか、忙しだとかどうでもよくて

誰がどうとか、何がどうとかもどうでもよくて

行きたいところに向かうだけ。

ただそれだけです。

 

何事もシンプルに。

迷った時程シンプルに。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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組織は理不尽や不自由を当たり前だと認識させ、個人を都合よく利用する。

なぜなら、個人なんてどうでもいいから。


 

「時間がない」って聞くと、「命がない」って聞こえる。(笑)

 

 

”暇”って思われる人って実は”自由”だったりする。(笑)

 

 

誰にも渡さない