ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

自由と不自由

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

他人に「自分の思いどおりにはならない。」と言われ

「確かにそうかも!?確かにそうだ。」とあっさりと認めていた自分。

しかし、ホントにそうか?

ホントにホントにそうか?

ある時、ふと答えがでました。

明確な答えが。

 

 

自由と不自由

 

「自分の思いどおりにはならない。」とは

思考は実現しないという考え方です。

しかし、考えてみて下さい。

あなたは今、存在しています。

存在すると思考したから存在しています。

居たい場所に存在しています。

何が言いたいかって

「思考が先、現実はあと。」

なので、「自分が思い通りにならない」というのは、自分が決めているということです。

思いどおりにならないと思考しているから、思い通りにならない現実をつくっている。

とてもシンプルです。

このシンプルを、ややこしくしているのはいつも自分です。

確かに外的要因はありますよ。

生まれてからず~~っと、メディアが伝える、フェイクニュースを信じ切って過ごしてきたのですから。

親や学校教育を信じ切って過ごしてきたのですから。

反復することで意識から無意識に落とし込まれているのですから。

『何かを得るためには、何かが必要となる。』

自由にも条件がある。

こうして刷り込まれ続けてきたのですから。

 

継続は力!?


 

これまではこれまでとして、今、シンプルに考えてみて下さい。

”自由”って、何の制限も無いってことではないでしょうか?

僕は今、なんの制限も無いのが自由だと思っています。

 ルールがひとつあるだけで、自由ではありません。

強いて言うなら、それは条件付きの自由です。

この条件付きの自由を、世界は本当の自由だと勘違いしています。

むしろ、自ら自由を手放し人が溢れかえっています。

どれほどの条件がぶら下がっているのか数えてみて下さい。

途方もないことになります。

 

法律やルールって権力者を守るためのモノ。

権力者の気分でいかようにも変えられるもの。


 

僕自身も、周りの人も「こういう時はこうするもの」と

気付けば同じような考えで制限をつくり、しかも、ひとつに統一されていました。

ひとつのルールに全員が従う構図。

そこにはひとつの考えしかありません。

決められた!?ことしか受け入れられず、ペナルティまでつくられます。

こうして作られたルール!?

言葉だけ独り歩きしているだけのルール??

正確にはルールと定められていないにも関わらず、受け入れた人が次々とリレーします。

その様子を目の当たりにした人達も、自ら受け入れます。

あっという間に広まります。

 

しかし、ちょっと冷静に振り返ってみて下さい。

そもそも、ルールになっていません。

ルールもないのにペナルティが存在するって謎です。

声の大きい人。権限を持つ人を含めたリーダーが誘導し、その他の人が受け入れる構図です。

こうして受け入れられたことを確認すると、更にルール!?を増やします。

これもクリアしたってなると、「お願い」といいながら、次から次へとルールもどきを追加していきます。

あっという間に、「お願い」は言葉の暴力になり、命令に変わります。

そして、元に戻れなくなります。

「おかしい」と思っても戻り方がわかりません。

そればかりか、これまでしていたお願いを解除したと言っても戻ろうとしません。

これまで続けてきたからやめられない!?

そもそもやめる気がない!?

結局、ルールですらないルールにコントロールされ続けているということです。

即ち、思考をコントロールされているということです。

自分で決めているつもりで、実は他人に決められている。

自分ではない誰かにコントロールされている。

即ち、自由の欠片も無い。

それどころか、自由を奪われていることにも気付かず

自分が不自由になっていることすらわからない。

これが洗脳です。

自ら自由を放棄し、不自由を満喫する。

これを体験したい人は続ければいいし

「?」って思ったら立ち止まって考えてみて下さい。

「おかしい」と思ったら、従うことをやめる。

そうしないと変わらない。

どんなことを考えても

どんな思いがあっても

行動しないと何も起きないし。何も変わらない。

 

思考することも大切ですが、いくら考えても行動しないことにははじまりません。


 

行動するって特別なことをすることではありません。

自然体でいることです。

自然体とは、「おかしい」と思うことを受け入れないことです。

”誰が”なんて言おうが関係ありません。

自分にとってどうなのか?

自分はどうしたいのか?

それだけのことです。

とてもシンプルなことです。

こんな風にシンプルに考えられると、コントロールする方はやりにくくなるので

出来るだけ、わかりづらくするわけです。

だから、とんちんかんなことを自信たっぷりに言うわけです、

多くの人が従うことによって、権力者やリーダーは特典があるからです。

その特典考えてみて下さい。

それをやることで、誰が得をするのか?

誰にとって都合がいいことなのか?

そして、あなたにどんな影響を及ぼし、最終的にどうなるのか?

こういったことを考えれば、”自由”について忘れていたことも思い出すかもしれません。

 

 

僕らが生まれた時には既に、”社会”というものがあって、政治家という人が居ました。

しかし、この政治というものが生まれたのは明治時代です。

その前の江戸時代は将軍がいて、朝廷がいて、政治!?ようなカタチはありました。

それでも265年続いたのは、それなりに平和だったからでしょ!?

ところが、外国からの介入が始まり、幕府は倒れ、それ以降、時代の移り変わりが激しくなっています。

 

日本という国をみた場合

日本人が日本人の嫌がることを次から次へと行うでしょうか?

 

 

更にず~~~~~っとさかのぼった縄文時代

ルールや法律なんてものは存在しなかった。

自由が当たり前だった。

『自由』なんて概念すらなかったと思います。

なぜなら、リーダーなんて存在しない

他人に介入することも、干渉することもなかったから。

縄文時代が1万年以上も続いた理由の大きな要因のひとつだと思います。

そして、縄文時代が1万年以上も続いたにも関わらず、あまりに情報が少ないと思いませんか?

意図的に隠されている。

だから学校教育でも教えない。

僕はそう思っています。

なぜなら、人間をつくったレプティリアンにとって不都合だから。

このレプティリアンの下部である、人間にとってとても不都合だから。

自由にさせないのはその為!

コントロールするのはその為!!

かといって、「やめて!」と言ったところで聞くはずもありません。

だから、従わない。

さりげなくスルーする。

自由の為の行動とはこういうこと。

だからデモも集会も必要ないんです。

政治なんてもっとも不必要なもの。

だって、庶民をコントロールするための集団であり、その為の選挙制度なんだから。

だから、あてにしないし、相手にしない。

なぜなら、シンプルを複雑にし、あなたの自由を奪うよう誘導するのが目的だから。

直接、手を下すわけではありません。

 

こんな計画があったとしても、それは計画した人のただの目論見であって

最終的には、個人が行動しなければ実現しないこと。

従わなければ、実現しないこと。


 

あなたが自由であるか、不自由であるか

それは「自由」についての認識によって大きく変わります。

権力者は、なにかあると「自己責任」なんてことを言われますが

それは自由があってのモノ。

なんの制限も無い上でのこと。

要するに、大前提にある”自由”を丸々省いているってことです。

しかも、好き勝手特例をつくったり、ペナルティを与えたりしているのですから。

そればかりか、何の責任も負いませんから!!

だから、シンプルに考え

おかしいことは受け入れない。

これは、自由であるために、欠かせないことのひとつです。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

長々と述べましたが

どうするかは、あなたの自由です。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。