ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

自己犠牲

ご訪問いただきありがとうございます。

 

我慢をやめるためにピラミッド組織から離れたわけですが

今になって思うと、自分は常にコレをしていたのかな?と思います。

そして今、外に出た時目にする光景もコレじゃないのかなって・・・

 

 

自己犠牲

 

僕ね、ピラミッド組織から離れ、それまでの思考と行動を変えてみて分かったことや

理解が深まったことって、た~っくさんあるんですよ。

例えば自己犠牲。

意識し始めたのはサッカーをするようになってからです。

”チーム”という組織の中の自分。

いろんなことを知り、出来ることが増え、周りを客観的に見れるようになった頃。

顧問の先生や、コーチなどの影響で、その都度求められることは違うのですが

常に全体を立体的にみながら、予測しながら動き、そして誰よりも走る。

全ては勝利の為

チームの為

仲間の為

応援してくれる人達の為

こんな風に、気付いたら”○○の為”ってのが当たり前のようになっていった。

これは何もスポーツだけでなく、学校教育そのものの話。

チームや組織など、あらゆる集団の中では”自己犠牲”が当然!

言葉にするしないは個人差あるけど、けどやっぱみんな自己犠牲が正しいと思っている。

”自己犠牲”を正しいと思った瞬間、それが出来ない人や、やらない人に対し

”悪い人(ヤツ)”とか、”自分勝手”というレッテル張りをする。

そう言われるのが嫌だから、自己犠牲に向かう。

教育・スポーツ・仕事など、人が集まった瞬間、組織が出来

瞬く間にリーダーが生まれ、ルールが決められる。

こういった環境に身を置き続けることが当たり前で

「自己犠牲がおかしい!?」とは考えないし感じない。

なぜなら既に刷り込まれているから。

しかしこの時、何をしているのかと言えば、それは我慢。

要するに”自己犠牲”は、自分の我慢によって成り立っている。

やっぱさ、我慢していて気分いいわけないじゃん。

誰かが喜んでも、自分はしんどいんだもん。

そんな状況で幸せ感じられる?

気分よく過ごせる?

「自分さえ我慢すれば・・・」??

日常がこんなんじゃ、心安らかに居れなくない?

おまけに自己嫌悪じゃない?。

「我慢」と「自己嫌悪」の無限ループ。

これを続けたらどうなるのか想像してみて?

今の自分が、この無限ループにハマっていないか自分をみてみて?

我慢していないか?

押し殺しているものはないか?

冷静に自分をみてみて👍

僕はその無限ループを繰り返していた時、自分が自分で居れなくなった。

そして、その状態から抜け出したいと思った。

違う現実を創りたいと思った。

だから、それまで当たり前にしていた我慢をやめた。

「(自分さえ)我慢すればいい。」という考え方を捨てた。

人はみんな、個人個人違うものだということを、改めて思い出した。

それまでの常識を、「おかしい」と思った都度、思考を変え、行動を変えた。

 

自分は自分にとって、とても興味深い存在です。(笑)

「自分観察」と「自分実験」を、日々繰り返しています。

と言っても、日常を我慢しないように氣ままに過ごしているだけですけど。(笑)

 

 

自己犠牲の精神が自分のアイデンティティだと思っている人も居るかもしれない。

だとしたなら、その人は自分の人生を放棄していると僕は思う。

誰かの犠牲になって

何かの犠牲になって

アイデンティティなんてあるわけないじゃん!って思う。

どんだけ変態なの?って思う。

それはそれで人それぞれだけど

自己犠牲の上にhappyは存在しないよ。

けどさ、その自己犠牲を歓迎する人は居るよ。

利用する人もいる。

不思議とさ、利用する人少数で、利用される人大多数なんだよね。

なんでかわかる?

ピラミッド組織の中だから。

社会そのものが

国そのものが

世界全体が

ピラミッド組織だから。

 

さっきね、自己犠牲を利用する人と利用される人の話をしたけど

他人の自己犠牲を歓迎し、利用する人がどんな人達なのかイメージしてみて。

 

 

 

そもそもなんだけど

自分を大切に出来ない人が、誰を大切に出来ると思う?

僕は出来ないと思うし、そんな人見たことない。

他人を大切に出来るのは、自分を大切に出来る人だよ。

ちょっと考えてみてよ。

自分が大好きな人がさ、自分自身のことを嫌いだとしたらどう思う?

自分のことが嫌いな人が、他人を好きになれるかな?

好きにはなれるかもしれないけど

その先には共依存しかイメージ出来ない。

二人にhappyが訪れるかと言えば、それぞれが自分を大切に出来ない限り無理だと思う。

 

いろんなことで不安や恐怖を感じ、感情を揺らされてばかりいたら

結局、何かに依存することになる。

その依存先が、政府であり、会社であり、あらゆる組織

更には、”多くの不特定多数の人の目”になっている。

”依存”をやめないということは

一生自立しないことであり、何かに寄生して生き続けることになる。

即ち、”超管理社会”の中で、自分という個人の意思も、個性も捨て去り

人型ロボット”として生き続けることになる。

本当にそれでいいかどうか、個人個人が考え、決める時期だと思う。

 

 

 

僕の勝手な想像なんだけど、いろんなことを我慢し、組織にしがみついている理由はさ

お金なんだと思うんだよね。

嫌な言い方かもしれないけど、お金に振り回されている。

けどさ、お金は手段であって目的ではない。

とは言え、お金が無ければ僕も困る。

しかし、お金は自分にとっての一番ではない。

そもそも、生きるために生きているのではない。

生きることが重要なのではなく、どんな風に生きることが重要だと思う。

だから、お金も必要だけど、のん氣に過ごしたい。

気分よく過ごしたい。

だから

自己犠牲なんていらないのさ!

我慢なんていらないのさ!!

 

「我慢」をやめて「自由」を取り戻そう。

「自分という個人」を取り戻そう。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

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