ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:“議論”とは?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

話し合うことは大切だと思います。

ただし、当事者同士が必要と思った場合ですけどね。

 

 

今日の疑問:“議論”とは?

 

国や企業・学校という組織の中では物事を決める際、“議論する”と言います。

この“議論”、家族や友人など身近な人の間でも起きているということを聞きます。

確かに、自分も組織の中では“議論”に巻き込まれ

身近な関係でも“議論”していたことがあります。

 

 

“議論”とは、ほとんど“論破”です。

誰かを肯定し、誰かを否定する。

何かを正しいとし、何かを間違っていると決定する。

しかも選ばれたものに全ての人が足並みを合わせなかればならないという暗黙の了解。

同時に、選ばれなかったものは無かったものとされる。

 

 

だとするなら、こんな“議論(論破)”は僕には不要です。

個人の尊厳が保たれない人間関係など僕には不要です。

お互いの意見を伝え合うことは必要です。

その時「あなたはそう思うんですね。私はこう思います。」で済むと思います。

無理にどちらかが妥協しなくても

無理に相手に寄せてくなくても

それぞれの「好き」とか、「やりたい」とか、「やり方」などの考え方を認めればいんじゃね!?

って思うんです。

一緒の時は一緒、ひとりの時はひとりで、いんじゃねーの?って・・・

 

 こんなのは組織のトップの意向が伝えられるだけ。

トップとは、組織の大小に関わらず、権力者のことです。

 

 

 

ひとつの考え方が違ったら、「あの人のことは全部嘘」ってことありません。

ひとつの考え方が違ったら、「信用出来ない」ってこともありません。

また、その反対もありません。

よく、昔の話を引っ張り出して、前(昔)はあーだった・こーだった。

「人なんてそんなに変わらないんだよ。」

「ある程度の年齢⁇になったら変わりっこない。」

そして、「どうせ・・・」とじゃれ合いながらさりげなくレッテル張り。

特に久々に会う相手とは・・・

何年か前まではそんなことありました。

今は本気でそんな話をすることも無ければ、されることもありません。

きっと、個人を尊重し合える人としか関わっていないからだと思います。

 

他人を尊重するということは、介入しないことでもあります。


 

 

ここでは、自分が言いたいこと書いています。

受け取り方は、読んだ方の解釈ですし、そのことに対し、いちいち論破する気は全くありません。

そもそも、記事を書いた時の自分と今の自分の考え方が微妙に変わっていることもありますから。

ただ、その時感じた疑問を、その時の自分が書き綴っているだけなので・・・

 

 

そもそも、“議論”ってたくさんの人がいて出来るの?って疑問があります。

また、政治家と言われる人は、地域の代表だ、国の代表だと言われています。

しかし僕はそんな風に思っていません。

仮に代表だとして、「代表」という位置づけの人達によって、あなたに何かhappyなことはありましたか?

僕はこれまで生きてきた中で、「代表(政治家)」がいてよかったと感じること、考えても浮かんできません。

「日本を切り開く」と言いつつ、日本を、日本人を切り刻み破壊を続ける代表

「小さな声を聴く力」と言いつつ、聴いた声を無視し続ける代表

こんな代表の人達以外、浮かんできません。

もちろん、全ての代表者(政治家)がそうだと言っているのではありません。

しかし、いろんな権限を授かった権力者は概ねこの国を破壊し、国民生活を破壊しています。

これは今も進行形です。

進行しつつも、隠していた情報が少しづつ僕ら庶民にも知られてきたことにより

これまで以上に、情報封鎖・言論封鎖をするようルールを変えています。

更に、自分たち(権力者)の都合のいいように変え、日本人の生活をを破壊し続けようとしています。

 

 

 

そもそも、代表は必要ないと思っています。

なぜなら、誰もが唯一無二の個人だからです。

全ての存在が対等であるからです。

 

想像してみて下さい。

100人で話し合いをして100人の意見が違った時、最終的に1人の意見が採用されます。

あとの99人の意見が全て無かったものにされる。

大袈裟かもしれませんが、今もこんな感じだと思います。

仮の70人対30だとします。

この際、30人の意見は全て無視され、なかったことにされています。

そればかりか、70人の意見に同意した(満場一致)とみなされています。

 

「多数決」って、「勝ち馬に乗りたい」って人によって変えられています。

それが無くても、数字はいくらでも書き換えられますからね!?

 

 

 

今、やっているラグビーワールドカップ、残り1年を切っているオリンピック

本当に必要なの?

これもごく一部の強い意志により、権力を振るい、圧力をかけ、脅しを行い、最後はお金・・・

どうしてもやりたいなら、国民のお金「税金」を使わないで欲しいです。

大衆コントロールの為の規制や、誘導やめて欲しいです。

監視のため・利権の為の税金を使わないで欲しいです。

だって、世界という組織や大企業をコントロールするごくわずかの人の利権でしょ!?

選手がやりたい気持ちは多少イメージはできますが、権力者にとっては、所詮チキンレース参加者ですよ。

やりたい人がお金を出し合ってやればいんじゃないの!?

興味のない人に介入することなくね・・・

反対に、災害時は現場の早期復旧のために“ボランティア”という扱いではなく

行政が現地で作業する人にお金を渡すという方法もあると思います

作業する人が足りなければ緊急募集です。

もちろんその前に、現場の状況確認と作業が出来るかどうかの判断も必要です。

そもそも行政は「指揮を執っています。」という姿を見せたいだけでしょ?

現地に住む人とそこに出向いた人が一番よくわかるでしょ!?ってことです。

こんな時に「税金」を使うって方法、むしろ、ありだと思います。

 

 ボランティアは立派な搾取です。


 国の代表者の皆様・災害時もイイ笑顔です。(苦笑)


 

 

少し話がそれました。

いずれ、「議論(論破)」は言葉で勝敗を決め、負けた方は全てを受け入れることを意味します。

同時にみんな足並みを合わせましょうということです。

個人の尊厳や個性を消し去ることです。

(これって憲法違反じゃないの?)

 

 

説得することも必要ありません。

説得されることも必要ありません。

必要なのは自分という個人がどうしたいのか?どうありたいのか?

これを個人個人が決めることです。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

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