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言葉を鵜呑みにしない

ご訪問いただきありがとうございます。

 

言葉ってひとつの表現方法です。

今流行ってる言葉。

流行語。

流行だと思っていた言葉が日常的なることもあります。

それって多くの人が受け入れているってことだと思います。

受け入れてるって何を?ってふと思いました。

 

 

言葉を鵜呑みにしない

 

 

「始めに言葉ありき」

言葉の意味は諸説ありますが、いずれにしても宗教的概念です。

宗教的概念、これは社会という巨大組織から、家族という小さな組織まで

あらゆる組織の中に存在しています。

こうした概念には今も尚、違和感しかありません。

だから、僕は言葉を鵜呑みにしません。

自分なりに感じ取り、自分なりに解釈します。

つまり、言葉を鵜呑みにしないって言う事は「自分で考える」ってことです。

シンプルで当たり前のことと思われるかもしれませんが

そうではなくなっているから、おかしな状況が続いているんじゃないかな?って思います。

 

 

唐突ですが、昔の記憶、就職が決まった後の記憶が浮かんできました。

就職が決まった時、配属先は決まっているのですが

その前に研修がありました。

業務内容によってクラス分けされ、また、研修期間に関してもまちまちです。

いろんなところからやって来た見ず知らずの人が同じ寮に住み、同じ釜の飯を食い、生活する。

タイムスケジュールが決められ、朝はラジオ体操から始まりました。

最初は、ここって学校の延長?ゆるめの刑務所?ゆるめの軍隊?って思ったんです。

しかしその後、社員手帳?かなんかをみて社歌を歌わせられるんです。

これには驚きました。

ホント驚きました。

「ここって、会社じゃなくて宗教団体じゃね~~~」って思いここにいてどうなる?

逃げた方がいい?やめた方がいい?って思いが頭をよぎりました

それと同時に、学校ってヤツもやっぱ宗教だったんだって思ったんです。

ヤバさはあるけど、怖さは感じない。

ただ、拘束されてる感。っていうか、見えない檻に囲われている感覚!?

ただただ不自由って言うかなんていうか・・・

 

実際、教官たちは一見耳あたりのいい言葉を並べたかと思えば

「これはこういうもの」=そこでのルールみたいに言い切ることもあり

なんだかやっぱ、学校時代の詰め込みを思い出したというか

決まった枠・つくられた枠に閉じ込められたというかそんな感覚でした。

 

まあまあ昔話と言えば昔話なのですが

こんな昔のやり方が、現代社会でも続いているという現実に少しばかりショックを感じます。

あの頃知った違和感が大きくなり、より窮屈さを感じるような社会になっています。

 

努力しよう。

成長しよう。

困難に立ち向かおう。

誰かの為に我慢しよう。

大切な人を守ろう。

絆で繋がろう。

 

なんとなく書いたのですが

これってどういう人が言い出しっぺなのかな?って考えると

言葉を使って影響力を持ちたい人。

では、言葉を使って影響力がある人ってどんな人かと言えば

声の大きい人。

目立つ人。

表には出てこない真の権力者。

 

こうしたことを繰り返し言い続けているってのは

今も変わっていないということ。

ううん。むしろひどくなってるのに・・・

やり口はず~~っと同じなのに、それでも気付かない・・・

気付いたけど変わらない。

しかし、気付いた人の中には行動を変えた人達がいます。

僕も少しづつではありますが、思考と行動を変え続けてきました。

今も、これまでの食う寝る遊ぶのスタイルを変える準備をしています。

 

 

外を見れば無数の情報が溢れていると思います。

その中でも多くの人に注目されるものもあるでしょう。

しかし、その多くの中に自分が居るかと言えば、そうでないことがほとんど。

つまり、僕個人は自分の外にある情報のほとんどに必要性を感じていないわけで

その情報に関わることも、声を聴くことも

また、そうしたことが話題にすらならなくなってきた氣がします。

 

結局は、自分の現実は自分が創っているわけで

どんな現実も自作自演だということを知っていれば

周りがどうとか、過去のトラウマがどうとか、何がどうとか

言う必要もなければ、嘆く必要もないわけで

嘆くなら、何かをやってみた後に嘆けばいいわけで

要するに、自分で決めて好きにやってみたらって話しなんですけどね。

 

いろんな人が言う「自分を磨く」とか、「成長させる」とか、そんなんじゃなく

自分を解放し、これまでの既成概念を取り除き、自分の全て自由にする。

特に頭の自由。

思考の自由。

もし自分が何かしらの不自由さを感じているのなら

その現実を創造しているのは自分だということを認識するが必要不可欠です。

感じ取らないと、認識しないと、何も始められない。

根本がわからないままだと足踏みどころか、後退します。

ちなみに、僕が言う後退は、自由を手放すってこと。

なにかに動かされ、従うってこと。

これが好きなら、それでいいのですが、嫌ならその逆の思考と行動が必要です。

 

さっきも少し言いましたが、一見耳あたりのよさげな言葉。

努力・前向き・ポジティブ、まあなんでもいいですわ

これらの言葉の奥に潜んでいるのは善し悪しの概念

それは同時に宗教的な概念だということを認識しなければ本質を知るとことはないでしょう。

努力することが良いこと。

前向きが良いこと。

ポジティブが良いこと。

みんなの為が良いこと。

それに加えて、エモーショナル。

要するに感情を揺らす。

最近は政治も学者もスピ系も音楽関係者もオタクも

言ってることがあまり変わらない氣がします。

本質よりも感情を揺さぶることを優先しているというかそんな感じ。

メディア同様、自分に注目を集め、より多くの人の感情を揺らすゲームでもしているのかな?って・・・

そういったことも含めて言葉を鵜呑みにしない。

実際、一番いいのは言葉よりその人の空気感というかエネルギー

それを感じ取れれば、その人の言ってることやその先にある目的がある程度想像出来ると思います。

それが当たってようが、外れてようが、それが自分の感覚。

 

結局、自分の感覚ですね。

頭で考えるより、感覚確かだと思います。

考えることも必要ですが

まずは感じることから。

 

 

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出来ました。出来ました。出来ました。

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善し悪しの概念を捨てない限り本質は見えません。


 

確かなことはシンプル。