ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

ギャップをチェック!

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

前回のタイトルのとおり

好きなことしていても疲れる時は疲れるを実感する日が続いています。

全国的かどうかまではわかりませんが

僕が住む藤沢ではここ最近も、この先も暑い日が続くようです。

暑い中に居るって結構疲れるんだと思います。

そのせいか、夜になるといつになく眠くて仕方ありません。

こんな時は頭もお疲れです。

なので、自分にとっての十分な休息

とても大切だと思っています。

その為にも、自分を感じろ!

 

 

ギャップをチェック!

 

 

好きなことでも夢中になり過ぎると自分の状態が分からなくなることあります。

ところが、好きなことすらしていない時間って多くないですか?

特に勤めていたら勤務時間という名の拘束時間がありますし

急かされることも少なくないのでは?と想像します。

また仕事以外でも、当たり前のようにせわしなく動いていたりして・・・

僕自身も会社組織を離れる前はセカセカしていました。

特に苦手なことをする時は、不安な気持ちが先行しているせいか

妙なプレッシャーを自分に掛けます。

時間的なプレッシャー

質的プレッシャー

この時点で冷静ではないわけで

それを知っているからより一層冷静になろうとするのですが

なかなか冷静に慣れない時が多々ありました。

これも長年の習慣なのだと思います。

もともとせっかちだったという気質だったのかもしれませんが

やはり、日々の習慣だと思います。

 

自分の思考で自分の現実を創っているわけですが

この思考がズレた時、「ズレた」という事実に気付くかどうかで大きな違いを生みます。

自分が考えていることと、やっていることのギャップがあるかどうか?

あるいは、直感的なことをスルーしていないかどうか?

もっと端的に言えば

やりたいようにしているかどうか?

我慢していないかどうか?

こんな風に問いかけると、結構曖昧な返答をする人がいる様に感じます。

「別に~」とか、「特には。」とか

あるいは、自分に言い聞かせるような言葉を発し、自己暗示をかけたりとか・・・

今になると、過去の自分がどうだったのか明確にはわからないのですが

これらは、僕自身やってきたことだと思います。

好きにしているフリをして

満足しているフリをして

我慢していないフリをして

ただただ取り繕って来た自分。

何を取り繕っていたのかさえ分からなくなっている自分。

幼少期から自分との対話が当たり前だったのに

それでも何かが少しづつズレていった。

ズレに気付いてもすぐには修正出来なくなっていた。

修正出来なくなっていた自分を、どこか諦めた!?

諦めるとズレが大きくなります。

そうなった時、やっていることや起きている現象以上に

”ズレが大きくなり続けること”にストレスを感じることになります。

このズレの大きさ=ストレス。

”ズレ”のピークは人それぞれですが、ピークに達するとザックリ2つに別れると思うんです。

ひとつは、ギャップを失くす方向に動き出す。

もうひとつは、休息が必要になる。

ってことは、ある意味、中途半端で居続ければ、ほどほど自分を保てているってこと?

確かにそうした解釈はあると思います。

しかしそれは、在りたい自分なのかと言えばそうではないような氣がします。

むしろ、自分の中のネジをわざわざ外した状態を続けているように思うんです。

だって、常に、思考と行動のギャップがあるのですから。

それって、自分のようでいて、自分でない自分って氣がするんです。

ハッキリとは覚えていませんが、息苦しさを感じる時ってこんな感じだったと思います。

 

 

僕がこうした息苦しさから脱却するためにしたこと。

それは感情の開放でした。

開き直りとは違います。

溜め込んだものを一度開放すること。

なにひとつ残さず開放。

多分、こんな感じだったと思います。

一度スッキリすると、余計なものを溜めたくないと思ったのでしょうか?

(自分でも覚えていません。)

すると、これまで何気にやっていたこと。

受け入れていたことに対し、違和感を覚えます。

我慢したくないと思います。

と同時に、自分はどうしたいのか?というのが明確になってきます。

すると、アレも我慢だった。コレも我慢だった。と気付きます。

気付いたことで我慢をやめたい。いや、やめよう!と考えることが出来ます。

考えて行動することで、思考と行動のギャップを減らす。

減らし続ける中でギャップをつくりたくないと思いました。

この時点で思考が変わっています。

 

 

しかし、既にお気付きだと思いますが

社会をコントロールしたい人達は、混乱をつくり不安にさせ

冷静に物事を考えられない状況を維持し続ける為の情報を流しているわけです。

例えば、学校も同じです。

学校での情報を必要かつ正しいものと認識させ

詰め込み型で考えさせようとしません。

そればかりか、疑問を投げかける生徒に対し

大人達は正面から向き合おうとはしません。

中身は何でもよくて、とにかく従わせる。

従わなければ罰を受けるということを教え込み

恐怖による支配を行い自分の身を守る。

こうした教えを受け続けた先にある企業もまた同じです。

言うまでもなくピラミッドですから。

えげつないくらい自由を奪われ、我慢を強いられ、それを当たり前だと教え込む先人たち。

それをリレーする現役の人々。

家族が生活できるだけで幸せ!?

生活の為だから仕方ない?

結局、お金のことを指しているのでしょうけど

それってお金が1番ってこと?

それはそれでもちろんありだと思います。

間違いなく現代社会ではお金が必要です。

しかし、お金を一番に考えたらその他はどうなるでしょうか?

お金を一番にしたとして、今の仕事で自分が満足することが出来るでしょうか?

出来ない仕事をしているなら、仕事を変える必要があると思うのですが、実際どうでしょうか?

ちなみに僕個人は、お金を最優先にして仕事を変えたという話はあまり聞いたことがありません。

むしろ、お金を追い求めるあまり、失ったものが大きかったなんて話は聞いたことがあります。

お金と何かのギャップ。

お金を含めたいろんなことに対する考え方のギャップ。

 

 

ギャップがおもしろいなんて話はちょいちょい見聞きしますが

楽しめないギャップ

特に、自分自身の思考と行動のギャップは、ない方が快適だと思います。

とりあえず、自分自身の思考と行動にギャップがないかどうかを時々考えてみるのもいいかなって思います。

その為には冷静な思考と、その為に必要な環境と時間。

あとは、自分観察だと思います。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

混乱の中にいる時、急かされている時って、

冷静に考えることがとても難しくなります。

そして、感じにくくなります。

感じなければ考えることも出来ません。


 

マルチタスクってカッコいい?

それって時間に追われ、時間を盗まれていると思うんですが、それでもする?

ただでさえ、そんな人の近くには時間泥棒がいると思うのですが・・・

 

 

僕が勝手に心底思っていることのひとつ。

ほとんどの人は自分のマイペースを知らない。創れない。


 

思考と行動に一致には自分観察は欠かせないと思いますが

同時に、自分はこう思うとか、こうしたい。という意思表示も大切だと思います。

いずれにしても、何かを感じなければ何も始まりません。