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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

誰の指図も受け入れない

ご訪問いただきありがとうございます。

 

会社というピラミッド組織を離れて早7年が経過しました。

その数年前から決めていました。

「誰の指図も受け入れない」

ところが、こうした思いをあざ笑うかのような言葉を耳にし

その瞬間、僕はその場所を離れることを決めました。

とても印象深く、7年経った今もすぐに記憶がよみがえってきます。(笑)

 

 

誰の指図も受け入れない

 

 

これといって個人的に何かを言われたとかはないんですけど

一緒に仕事をする人達に対する敬意をド派手に欠いたひとりの声が僕の耳に入り

その瞬間何かがはじけました。

これまで感じたことのない刺激。

この一瞬で僕はその場所を去ることを決めました。

最初はどうやって自分を制御したらいいのかわからないくらい腹立たしかったのですが

すぐに、その感情は笑いに変わりました。

感謝に変わりました。

わけのわからない可能性を感じました。

だってタイミングを待ってたんだもん。

ここから立ち去るタイミング。

 

 

昔なら、仕事が出来る事・取り巻く人達に心から感謝していました。

少々嫌なことがあっても、行き違うことがあっても

「しゃーねーな」って思っていました。

しかし、会社という実質正体不明の組織に対しては違和感や嫌悪感が強くありました。

組織に対し、自分の無力さを常に感じていました。

感じているけど考えたくなかった。

これが諦めなのか、打算なのか、なんなのかはわからないけど・・・

とにかくそこでの目的がありませんでした。

唯一の目的はそこに行くこと。

ホント多くの人が言ってた言葉で

「生活の為だから仕方ない。

生きてくためにお金は必要だし、その為に仕事をするのは当然。

だから、嫌なことも我慢するしかない。

嫌な上司にも組織にも従うしかない。

だって、どうしようもないんだから。」

しかし、僕にはそんな考えすらありませんでした。

シンプルに麻痺していたのか?

思考停止していたのか?

なんていうか・・・

そうですね~

頭の中にクモの巣がいっぱい張り巡らされていて

考えることが出来ない状態。

それに気づいても、自分で取り除くことが出来ないような感覚。

俗に言う「頭ではわかっているんだけど」みたいな状態。

これって経験ありません?

他人のことはわかりませんが

あらゆる組織の中で、こんな感じの多くの人を見てきた記憶があります。

しかも今尚、進行形だったりして!?

なぜなら、これがピラミッド社会の教育だからです。

 

ピラミッドの上に居る人にとって都合のいい教育。

従わせる教育。

恐育者によって狂育者を増やす教育。

更なる恐育と狂育を日常生活に浸透させる教育。

そのひとつが歴史だったりするわけで

事実とは違う歴史を学校教育で教えていたりするわけですよね?

しかも、不都合な質問には答えず「教科書に書いてあるとおりだ!」

な~んて、平気で言っちゃったりして。(苦笑)

こうしたことが、日常生活に根付いています。

本当のことを言われると「陰〇論だ!デマだ!!」な~んてね。

 

 

やっぱさ、ピラミッドにいたらこんな感じになっちゃうよね!?

社会そのものがピラミッドだし

ピラミッドがデフォルトで

日常生活はピラミッド社会という傘の中にあるんだもん。

それしか知らないんだもん。

これが現代社会の始まり。

繰り返すことで無意識になっているんだもん。

疑問を感じないと。

その前に自分自身を感じないと。

考える以前に感じないと何も始まりません。

しかし、感じる暇が無いような日常生活をピラミッド社会は仕向け

多くの庶民は、それを普通だ当たり前だと受け入れ続けてきました。

僕自身も、妥協しながら受け入れ続けていました。

いくつものピラミッドを掛け持ちして

ピラミッドの上に居る人の顔色をみて

アンテナがいっぱい立って

周囲の空気を読んで

先回りする。

ちょっと褒められると照れ笑いを浮かべながらいい感じ??に仕上がっていく。

組織や上司が望むような自分に。

誰かが準備したシナリオを時に熱演していたりして・・・

 

不満を抱え

時に漏らしながら

我慢を続け

自分をより追い込むゲームをし

嫌だ嫌だと思いつつ、自らそこに居続けました。

 

そこでは、肩書を持った何人かが号令をかけ指示を出します。

細かいことはしもべ達に任せ、高みの見物

組織のトップはみているだけ。

というか、見てもいないんでしょうけど!?

 

まあ、そこそこ長く組織にいたので

今となっては記憶がかなり薄いですけど

自分自身もこんな風にしていること?時期?は確実にあったと思います。

組織に居続けるため?

周囲に認められるため?

誰かに必要だと思ってもらうため?

本当の目的すらわからないまま

こんなことしていたんだと思います。

 

 

それから7年。

社会!?との関りはかなり薄まりました。

語り切れないくらい、多くのことが変わったと思います。

例の騒動もあり、関りがなくなった人もそれなりに居ます。

しかし、それまで関りのなかった個人。

同じような価値観を持った個人とも出会いました。

2極化も進みつつあるあります。

 

この間、自分自身に少しづつ、そして多くの変化をもたらしました。

何より、思考の変化です。

自分観察という点では、幼少期からデフォなんで無意識で出来ますが

観察した後の思考と行動が変わりました。

 

最初組織を離れた頃は、「これ!」というやりたいことはありませんでした。

しかし、我慢していたことがたくさんあったんです。

我慢をやめるたびに、アレも我慢してた!って気付くんです。

やりたいことも浮かんできます。

昔はなんとかするのに必死でしたが

今は、なんとかするという考えがありません。

だって、我慢が苦痛なんだもん。

だから、なんとかしない。

嫌なこともしない。

無理をしない。

違う考えに合わせない。

嫌なものに同調しない。

こうして日常を繰り返しているうちに

核がシッカリしてきて

軸もシッカリしてきて

バランスも取れてきました。

今は今で満足ですが

別な可能性も感じています。

 

 

誰の指図も受けず

誰かに指図することもなく

何気ない日常を満喫する。

スタイルは人それぞれ。

 

自分は自分を感じる。

自分の内側を感じる。

そして観察する。

他人より自分を語ろう。

氣の合う人と、これからを語り合おう。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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個人的にはこれが最初の一歩でした。


 

教育は宗教的概念の一部であり、重要項目です。

知識を得て、認識が変わり、思考が変わり、行動が変わり、現実も変わっていきます。

 

 

 

常に意識することのひとつ。

 

 

この言葉好き!

可能性感じるっていうか、可能性しか感じない。

わけもなくワクワクしてくる。(笑)


 

なんだかこの写真貼りたくなりました。

世間でいう○○学ってほとんど9ソだけど、これは興味深い。

例えば、自分自身の”無”を学ぶみたいな?