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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

比較

ご訪問いただきありがとうございます。

 

”比較”という概念。

大多数の人は当たり前だと思っているのかもしれない。

僕自身もそんな一人だったと思う。

”当たり前”とは思いたくなかったけど、”仕方ない”と思っていたと思います。

しかし今は、全く不必要なものだと強く・強く・強く感じています。

 

 

比較

 

”比較”

これほどまでに多くの出来事・物事・日常生活に影響を与えるものがあるだろうか?

比較がなければ

比較をしなければ

それだけで、今ある窮屈さが和らぐと思います。

しかし、今尚、比較することは当たり前として行われあらゆることに影響を及ぼしています。

この「比較」という思考であり、概念が続いているのはなぜだと思いますか?

それは、意味のないもの(こと)に意味を持たせるためです。

更に、そのことを広めるためです。

とても大事なことだと思うのでもう一度言います。

『意味のないもの(こと)に意味を持たせ、それを広めるためです!』

 

 

このような概念を生み出したのはどんな人達なのか?

その目的はなんなのか?

お気付きだと思いますが、”権力者”と呼ばれる人達です。

目的は、少数で、大多数の庶民を支配・コントロールするため。

比較が!?って思われるかもしれませんが、比較にはまだまだ多くの意味が含まれています。

ピラミッドの中に「比較」という新しい種をまく。

やがて”比較の木”は大きくなり、多くの枝葉(更に新たな概念)を生み出す。

そこで意図的に生み出された(つくられた)概念を教えるのが教育。

更にこの概念を個人個人が自分に落とし込み、ピラミッドの中で共有する。

同じピラミッドの中で共感できない人を説得する。

更に他のピラミッドにも広げる。

これが、権力者にとって、とってもとっても大切な教育という狂育。

だから小さいうちに教え込むの。

その為の義務教育。

 

実際は、物心つく前からさりげな~く、さも当たり前のように始まっているの。

「みんな仲良くしようね!」と言いながら、その”みんな”で競争させられるの。

出来た・出来ないで子供達の優劣を判断するの。

数字を使って子供達を評価するの。

しかも、教師が介入しなくても子供たち同士で判断するように・・・

こうして誘導(ミスリード)することが教師の役割。

これが学校教育であり、義務教育。

このことを認識していて疑問を持っている教師が、ある一定数いるのもまた事実。

しかし、その組織に居続ける以上は組織に従う以外に選択の余地がない。

異を唱える教師の多くは、最終的に学校という組織に飲み込まれる。

トップダウンで示された方針にそってことが進められる。

「学校組織は正しい。」という印象を、学校内だけでなく、父兄や地域にも根付かせる。

権力者が手取り足取り教えなくても

学校と言うピラミッド組織に関わる人達が、率先して権力者の望む行動を始めている。

中には、自分がリーダーだと言わんばかりの人が居たりして・・・

ピラミッド組織の中では、大人同士のなかでもイジメらしきことがあるのに

子供のいじめを失くそうなんて到底無理。

ピラミッド組織の中では、イジメは絶対になくならない。

だって、ピラミッドってそんな構造だから。

 

 

”比較”などと言う概念がなかったら、正しいという概念(枝葉)もなかったかもしれない。

”しつけ”や”道徳”という概念(枝葉)もなかったかもしれない。

しかし、今のピラミッド社会では存在し続けている。

しかし、僕はそのピラミッドの中に居ない。

なぜなら、何かと比べることをやめたから。

過去の自分とも比較することがないから。

意見が違っても「そうなんだ。」と言えるようになったから。

もしかして、”比較”という概念を持ち続けている人との関りがなくなったから!?

意識していなかったけど、多分そうなんだろうと思う。

なんかそんな氣がする。

 

そもそもなんだけど、氣が合わない人とわざわざ会わないし関わらないよね?

これって”我慢をしていない”とも言えるよね!?(笑)

だから気分よく居れる。

今の自分をみてそう思った。

外に意識を向ければ自分には関係のない情報が氾濫している。

この関係のない情報に振り回されている人もいるのだと思う。

その光景を見てイラっとすることもある。

けど、それは自分に関係ないこと。

こういう時って自分の価値観と比較しているのかもしれないとふと思った。

だとしたら、その時僕はピラミッド社会の中に居て、見知らぬ相手と同じ土俵に居たのだと思う。

嫌だ嫌だと思いながら、氣にしているからそうなる。

「そんなつもりない」と言いながら氣になってしまったんだろう。

ならば、そう思った自分を認めよう。

事実を知れば、考えることも出来て対処も出来る。

 

 

比較はあなたをご機嫌さんにしない。

もし何かモヤモヤしていたら、その原因の根底には”比較”があるのかもしれない。

そんな時は、とりあえず自分の内側チェックだね。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

「比較」という概念が無かったら

「正しい」や「善し悪し(良し悪し)」もなかったのかも!?

ならば、ご機嫌さんで居られる。

というより、ご機嫌さんな時って何かと何かを比較する必要がない。

 

 


 

 

比較なんてしなければ、敵なんて存在しないし、争いなんて起きない。

けど、争い(戦争)をさせたい人達がいるのね。

だから混乱をつくりハートを揺さぶるの。

不安と恐怖を植え付け、無力化し従わせる作戦。

今も、これからも続けるだろうから、冷静に判断しよう。


 

あなたがどんな情報を得ようが、どんな映像をみようがみせられようが

あなたの現実はあなたの目の前にある。


 

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