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何の役にも立たなくていい

ご訪問いただきありがとうございます。

 

家の近くにある川沿いを歩くと

その川に沿っていくつものさくらの木があります。

花が咲く頃には注目を浴びますがその期間はわずかです。

そして、それ以外の時期はほぼ見向きもされません。

それでもさくらの木は立っています。

立ち続けています。

そんなさくらの木をみてふと思いました。

 

 

何の役にも立たなくていい

 

 

さくらの木って、古事記では「神の木」とされているようです。

が、個人的には全く信じていません。(笑)

そんなさくらの木を見るたびに思うことがあります。

その一部は冒頭に述べたとおりです。

特に最近は寒い日が続いていて、地域によってはいろんな影響が出ているとか?

それでもさくらの木はノーガードで立ち続けています。

状況は違えど、全国のさくらの木が

もっと言えば、海外にあるさくらの木が今日も、この瞬間も

立ち続けていると思います。

 

恐れがないのでしょう。

全然ではないかもしれませんが少なくとも過剰に恐れることはない。

だってさ、年中ノーガードだよ。

その上で立ち続けている。

しかも、何年も何十年も・・・

そして、1年のうちのほんのわずかな期間、僕ら人間を魅了します。

反対にそれ以外の時期はほぼ見向きもされません。

けど、思うんです。

時期に関係なく時々思うんです。

さくらの木は凛としていると。

花が無くても凛と立っていると。

自立していると。

そのことにいつも共感しています。

自分のしたいようにしている姿にも

なんとかしない姿にも共感しています。

 

さっき、さくらの木はノーガードと言いました。

しかし、それは全てではありません。

人間都合で人間の手によって守られている木もあります。

確かに必要な場合もあるのかもしれません。

しかし、人間が手を掛けお金をかけるということは

なにか、別の理由があるように思います。

「木を守るために」「みんなに楽しんでもらうために」と言うのでしょうが

さくらの木は人間に助けを求めているのでしょうか?

個人的にはそうは思いません。

人間都合のやさしさの押し売り!?余計なお世話!?

そうすることによる、周囲へのイメージアップという印象操作!?

概ねこんな風に思っています。

こう言えば言ったで、素直じゃないとか、陰〇論者とか思う人もいるのでしょけど

そういったことを論じようとは全く考えていません。

 

そもそもですが、「自分ら人間は特別だ。」と思い込んでいる人が多いのではないでしょうか?

思い込んでいるだけでなく、実際上から見ている。

だからやってあげている。

(動物についても同様に感じること多々あります。

それどころか子供にまで・・・

自分という存在のサポートが必要というアピール??)

周囲の人間に対しては「私は正しい?親切?いい人?」という謎のアピール??

なにに対しても思考が宗教的なんですよね。

ひとつの言葉に対し「良い悪い。」

ひとつの行動に対しても「良い悪い。」

「自分はこう思う。」ではなく

自分と違う考えは、全て「悪」みたいな思考の癖。

この思考の癖がとても宗教的に感じます。

自分ら人間が特別に優れた生き物だと思っている。

特別の中に更に特別な存在が居ると思っている。

まさにピラミッド思考です。

「見下した相手」には上から目線。

「敵わないと思った相手」には下から目線。

そういった思考の癖が、無意識に刷り込まれているので

息をするように、さも当たり前のように

そんな思考になり

発言になり

行動になる。

もちろん無意識で。。。

これもまた、「思考が先、現実はあと。」ということです。

けどさ、さくらの木はこんなこと考えていると思います?

僕は、みじんも考えていないと思います。

だって凛と立っているもん。

自立しているもん。

だから、人間に助けを求めるとは思いません。

僕がこう言うと

「そもそも、さくらの木がそんなこと考えられる訳がない。」と言うのかもしれません。

「木に何がわかる?」とでも言うのかもしれません。

だとしたなら、それこそが上から目線の無知な人間さまってことです。

 

 

宇宙には僕ら人間が知らないことがた~~~っくさんあるわけです。

どれくらい知らないかもわからないくらいに・・・

そして、僕らが暮らすテラ(地球)の上で、絶え間なくフェイクニュースがバラまかれ続けています。

なぜなら、レプティリアン(以下、レップー)が人間をつくり

つくった人間を奴隷だと思っているからです。

だから、本当のことなど教えるはずがありません。

一見自分にとって有益なことがあったにしろ

それは、誰かの為ではなく、レップー自身の為にやったことが

たまたま、おこぼれを授かった!?程度ということです。

レップーからしたら、心底どうでもいいレベルのこと。

多くの人間は、この事実を知らない。信じていないってこと。

だから、常に何かに怯え、目隠しをされたかのように騙され続けているんです。

想像をはるかに超えるほど人間は事実を知りません。

それどころか、ず~~っと嘘を信じ続けています。

ココが、さくらの木と人間の、大きな大きな違いです。

さくらの木というより、「人間とそれ以外の存在の大きな大きな違い。」ですね。

(何も知らない方がマシと言いたくなるくらいに。)

だから人間は怯えながら生きているわけです。

安心安全という不確かなものに対し、保証を求め

お金を差し出し、少しでもハートを和らげようとします。

そもそも、そのお金は必要なのでしょうか?

また、支払ったお金に見合った保証を確実に受けられるのでしょうか?

保険・年金・消費税をはじめとした税金だけでなく

普段使っている増苦や薬やサプリメントなどの健康食品だけでなく

周りの目対策・みんな持っている(やっている)対策

に使っているいろんなお金って本当に必要なのでしょうか?

知らないが故の不安が、過剰な消費に繋がっていると思うんです。

消費させるというのはレップーではなく、個人資産家たちのビジネスです。

なんせ、企業は消費して欲しいわけですから。

真実がなんであれ、お金が入ればいいのです。

ぶっちゃけ理由なんてなんだっていいんです。

庶民がどうなろうが知ったこっちゃないのです。

そういった存在に、脅され、支配・コントロールされているという事実を

今一度、自分の目で再確認してみては?と思います。

 

 

さくらの木も、僕ら人間も、絶対無限の存在の分身です。

姿カタチは違えど、表現方法は違えど、同じ生命体です。

繋がっているけど、独立した生命体です。

この生命体は誰のモノでもありません。

 

誰かの為に、何かをする必要はありません。

みんなの為になる必要もなければ、社会の役に立つ必要もありません。

個人は個人として成立しています。

 

個人個人が好きにすればいい。

誰かの役に立たなくていい。

あなたはあなたでいればいい。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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