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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

「プロセス」と「結果」

ご訪問いただきありがとうございます。

 

「結果がすべて」という考え。

「プロセス重視」という考え方。

「(結果・プロセス)どっちも」という考え方。

人それぞれの考え方があると思いますが

僕は生きることそのものが「体験」というプロセスだと思っています。

目先の結果も全て、人生の中でのプロセスだと。

 

 

「プロセス」と「結果」

 

結果とは、生きている限り全て一時的なものです。

しかし、結果如何によって、その後の自分の未来を左右するかもしれない。

また、周囲にも大きな影響をおよぼしかねない。

などと考えるのは、自らを不安に陥れるだけの考え方です。(笑)

まるで、誰かに何かをやらされているみたいな感じ。

けどさ、誰かに何かをやらされることに慣れている人が圧倒的多数ということもまた事実。

僕自身もやらされることに慣れていたひとりです。

しかも、「やらされている」と気付かないこともしばしば

な~んも知らずに従い続け

「おりこうさんだね~」

「えらいね~」

「素直だね~」

「真面目だね~」

「一生懸命だね~」

な~んて言われながらコントロールされ、利用されていました。

僕を利用している人の中でも、利用しているという意識はなく、結果 利用していたという人も居ます。

僕もこうした人のひとりです。

なぜなら、ピラミッド型の仕組みの中に居るという認識がなかった。

あるいは薄かった。

あるいは諦めていたから!?

それすらわからないまま、自分が教わったとおりリレーしていた!?

良かれと思いながら!?

違和感を覚えながら!?

 

 

僕が初めて、プロセスと結果について真剣に考えたのは社会人になってからです。

自分とほぼ同世代の新入社員の実務研修に関わった時のことです。

この時、会社?組織?が推奨する大雑把なテーマと方針は決まっていたのですが

具体的なものは、現場関係者で決めることになっていました。

(人事担当をはじめ関連組織の全ての上司たちは、口は出すけど完全丸投げ)

具体的な目的を決めた上で、何を優先しことを進めていくかの話し合いを行いました。

その中で、結果とプロセス、どっちも重要だけど、どっちを優先するか?という話になり

ひとりの先輩と僕の意見が正反対だったことで、長いやり取りをしたことがあり

最終的には、個人に一任されることになりました。

僕自身は「最初が肝心」という思いと、自分がおよぼすかもしれない影響を意識していました。

当時は、研修生個人個人のキャラクターの把握し

大枠は一緒に考え、あとは個人個人に任せ

自分も含め、とにかく自分の頭で考えることを一番の目標としました。

その上で、聞かれたことには全て答えました。

(この時期が会社勤めをしていて最高に楽しく仕事が出来た時です。

同時に覚悟を持って初めて退職願を書き、持ち歩いていた時期です。(笑)

数年後、考え方が正反対の先輩と再び同じ担当になるのですが

新しい上司に「君たち全く違う人種だね。」と言われ、思わず吹き出しました。爆)

 

 

その頃に真剣に考えた答え?というか考え方は

その後の社ちくん時代も

また、社ちくんを辞めた後も

あの頃から何十年か経過した今も変わっていません。

だって、生きること全てが「体験」という「プロセス」であり

その途中で生まれる「結果」というものもまた

ひとつのプロセスに過ぎないと思っているからです。

 

 

学校でも会社でもどこであっても、ピラミッド組織って役割を与えられると同時に

”結果”を求められるじゃないんですか?

その為に不安や恐怖を感じ、ストレスを抱える。

更に、その状態や環境の中で組織の中にいる人達を納得させる必要があるように思わせる。

だから失敗はしたくない。

だからリスクは小さい方がいい。

だからチャレンジはしない。

しかし、チャレンジしないでいると、別な要求を突き付けられます。

そして、結果を求められるためにやらざるを得ない状況。

出来たら出来たで次のハードルを用意され、結果を求められます。

出来なければ口撃され、ペナルティまで準備されます。

この様なことがエンドレスで続くのがピラミッド組織。

このような組織の中で、どんなに楽しく過ごそうとしても

実際にやっていることは、権力者が求めることであり

何かを達成出来たなら、それは権力者が望む結果だということです。

権力者にとって都合のいい存在というだけです。

主語は”自分”ではなく、常に”権力者”。

主語を自分に変えない限り、いつまでも権力者の為の自分です。

それを望もうが、拒もうが、自分を主役にしない限り永遠に続きます。

それが嫌なら、これまでの思考と行動を変える以外に方法はありません。

 

 

組織では、役割というものが与えられ

そして結果を求められていました。

ピラミッド社会もまた構造は一緒です。

社会では、権力者が望む振る舞い

政治行政だけでなく、メディアや学校や大企業をはじめとした組織が声掛けします。

社会の一員??としての振る舞いを求めます。

その内容については権力者が一方的に提示してきます。

そして、これまでは大多数の庶民が受け入れてきました。

従い続けることで、権力者の為だけの社会がつくられてきました。

庶民は権力者にとって都合のいい存在として利用されてきました。

しかし、その事実に気付く人が少しづつ増えてきました。

社会の一員など誰一人存在しません。

社会は個人によってつくられています。

個人が最優先。

社会は二の次三の次。

だから、はなから役割などというものも存在しないんです。

もし役割というものが存在するというなら

あなたの役割を誰が決めるというのですか?

与えられたら、全て受け入れるのですか?

また、あなたは誰かに役割を与えるのですか?

”役割”なんてものは、権力者が自分達の都合のいいように植え付けた概念です。

概念は、権力者の気分ひとつで変わります。

元々”役割”なんてものはどこにも存在しません。

”やりたいこと”は個人個人が決めるんです。

だから、やりたいことがなくても探さないで下さい。

 

「やることが無い。暇だ。」という人がいますが

それはやりたくないことをやめただけです。

なのに、なぜかまた、やりたくないことを探そうとします。

「何かしなくちゃ?」という謎の強迫観念!?

そういう時は、じっとしてみて下さい。

1時間でも、1日でも、1週間でも、1か月でも、1年でも、何年でも

なにかやりたいことが浮かぶまでず~~っとじっとしていて下さい。

やりたいことが浮かぶまで、好きにのんびりしていて下さい。

そのうち浮かびます。(検証済です。笑)

というより、今やっていることがやりたいことです。

あまりに平凡過ぎて物足りなく感じているのかもしれません。

しかし、それもプロセスです。

 

プロセス=体験です。

その体験は、今、この瞬間だけです。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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これって、さりげないんだけど大きな大きな違いだよ!

この勘違いが、日常だけでなく、人生までも変えてしまいます。


 

今すぐ出来るのは自分観察。

そして、人任せという不自由から自分を開放すること。


 

シックリこないことがある時。

違和感を覚えた時。