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反面教師

ご訪問いただきありがとうございます。

 

”反面教師”

物心ついた頃、そんな言葉は知りません。

しかし、のちに知るのです。

”反面教師”が居たことを

何人も居たことを

途切れることなく居たことを

しかし、今自分の中に反面教師は存在しません。

 

 

反面教師

 

 

ココでは何度となく言い続けていますが

”教育”の影響力たるものハンパじゃありません。

自覚があるかどうかは個人によって違います。

また、言葉で違いをはかることは出来ません。

全て個人の感覚です。

この感覚を麻痺させる手段が教育システムです。

考案者は権力者。

目的は、思考操作。

自分達にとって都合のいい人間を生み出し、都合よく利用する為。

なのですが、その実行部隊は教員(教師)と言われる人達にとどまりません。

至る所に存在します。

この記事を目にしたあなたにとって、僕が反面教師かもしれません。(笑)

 

 

物心ついた頃から思っていました。

大人が嫌いだって。(笑)

大人なんて居なくなればいいって・・・

けどいっぱい居る。

どこ行っても居る。

そして大人達は口を揃えているかのように言う。

「言うこと聞け」と・・・

親は親の言うことを聞けと。

学校では先生の言うことを聞けと。

先輩の言うこと聞けと。

そんなある時思いました。

自分が教師になろう。

今ある大人達とは正反対の教師になろう。

担当教科はアレで、部活はアレの顧問になろう。

な~んてぼんやりとした未来を想像した時期もありました。

会社勤めをしてからも、それを目指した時期もありました。

声を掛けてもらったこともありました。

けど、その頃には冷めていました。

いえ、冷めきっていました。

自分が会社という組織に居て

会社だけでなく、社会全体の構造がある程度理解出来たからです。

この歪んだ構造を変えるのは無理だと判断したからです。

自分の理想を追求したなら、すぐさま排除されることも容易に想像出来たからです。

この頃ですね。

社会そのものが自分にとっての反面教師だと感じたのは。

だからみんな大人しくしているんだ。

大人しく出来る人が大人!?

「そういうことか。」と思いました。

 

 

思い返せば、家の中にも反面教師は居ました。

それは母親です。

外では人格者扱いの大嫌いな祖父の娘です。(笑)

祖父に服従!?していたひとりです。(爆)

しかし、だんだんと「あーしろ・こーしろ」、「お前の為だ」とは言わなくなりました。

それは僕が聞き入れなかったからです。

もちろん内容によりますが、納得いかないことは聞き入れなかったからです。

「嫌なものは嫌」と受け入れなかったからです。

「コイツに言っても仕方ない。」と認識されたからです。

なので、勝手に心配はしていたようですが「あーせ、こーせ」は言われなくなりました。

ちなみに父親は、僕が幼少期の頃からそういうヤツだと認識しているので

「あーせ、こーせ」は言われたことがありません。

 

 

僕の想像ですが、ほとんどの人は子供の頃大人には言いたいことも言えず我慢していたと思います。

自分の親にすら言いたいことも言えなかったりして・・・

それって結局”我慢”です。

そして、繰り返しているうちに我慢することが普通になっていった。

「よく我慢したね~偉いね~」なんて褒める大人も居た。

(我慢することが”偉い”と言う謎⁇)

我慢出来ることが大人になることだと言う大人も居た。

こういう人ってそういう思考。

つまり、自分より目下と思う相手には我慢させ

自分より目上だと思う相手には我慢する。

目上とか、目下とか、誰がどんな風に決めるのかが疑問でした。

「人はみんな平等だ」とも教わっていたのにおかしいと子供ながらに思っていました。

だから大人達が信用できなかったし、嫌いだった。

ところが、いつしか同級生にもそんな振る舞いの子が居ます。

「先生が言ったことは守らなくちゃいけない。」

これ、親の教えでもあるらしいです。

(確かに僕も言われていました。まさに宗教です。)

大人も子供も関係なく、世の中”反面教師”だらけだと思いました。

それ以降、絶え間なく反面教師は存在し続けました。

 

 

しかし、幼少期から存在し続けた反面教師はいつの頃からか居なくなりました。

そもそもですが、”反面教師”って考え方って”善し悪し”という表裏一体の概念と似てません?

”反”と言うからには、”反”の元になるものがあるわけで

それは単に、「違う」ということなのに、いつの間にか争いになっています。

例えば、権力者が何かをいった時「反対だ~!」って声を上がる人が居ますが

「反対だ~」って言葉は宣戦布告をしているわけです。

具体的な内容がわからないまま、賛成”か”反対”かの2択の構図が出来上がり

しかも、自ら土俵を準備し待ち構えている状態です。

 

考えてもみて下さい。

権力者には、かないませんってば。

工作員はいっぱい居るんです。

世界中に居るんです。

世界中から呼べるんです。

もちろん、国内にも居るんです。

法律も勝手に変え、数字も操作出来るんです。

なにより、お金で動く人、脅しで動く人がいくらでも居るんです。

しかも、日本人とは限りません。

だから無駄なのです。

話し合いをしてはいけないのです。

「話し合って決めました。」

という、”既成事実”がつくられるだけだから。

あとは、何とでも出来るから。

だから、土俵に乗ってはいけないのです。

もし仮に”国民投票”で決めましょうと言い出したとしたら、そういうことです。

 

政治はこういったことを行う為に存在しているんです。

庶民を絶対に幸せにしないのが政治なのです。

これまでも、「”既成事実”づくり作戦」が繰り返されてきたでしょ!?

これがいつもの手口です。

表向きには平和を掲げながら

混乱をつくり

争いをつくり

善悪をつくり

庶民が平和にならないようにするのが政治の役目なのです。

反面教師ですらないのです。

 

 

僕にとって反面教師は既に存在しません。

また、過去の反面教師から学ぶこともありません。

同調することも

争うことも

関わることもありません。

なぜなら、価値観が違い過ぎます。

住み分けるしかありません。

そのことに気付き始めた人が増えています。

価値観が違い過ぎるのに、みんな一緒は無理です。

そのことに気付き始めています。

だから権力者は、あの手この手で絡んできます。

そんなかまってちゃんからは「ばいばい」も言わず消えます。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

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出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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