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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

誰の期待にも応えない

ご訪問いただきありがとうございます。

 

「期待しているよ。」って言われたらうれしいのかな?

それともプレッシャー?

まあ、言ってくる相手にもよりますし

状況やタイミングにもよりますよね!?

ただひとつ確かなことは

そんな他人の期待に応える必要はないってこと。

 

 

誰の期待にも応えない

 

「期待している」と言われたらほとんどの人は嫌な感じはしないのだと思います。

けどね、”期待”ってなにかと言えばエゴなんです。

相手は他人(あなた)を動かしたいだけなのです。

”お願い”とは違うのです。

一方的なのです。

なので、そんな欲求に応える必要なんてこれっぽっちもないのです。

なのに、多くの人が勘違いしています。

相手のエゴに応えようとしています。

出来ないことでも、やりたくないことでも、なんとかしようとします。

気付けば自分の予定(計画)とはかけ離れています。

我慢しています。

目的がすり替わっています。

元々あった自分の希望や目標・計画を忘れ、誰かの期待に応えることが目的になっています。

この目的のすり替え、よーくあります。

しかも、当事者は気付いていなかったりして・・・

ご多分に漏れず、僕もこのような経験を何度も繰り返していました。

「あれ?」って思うのですが

「おかしい」って思うのですが流されてしまうんです。

何に流されるかと言えば雰囲気です。

”数”によってつくられる雰囲気です。

”人”というより”数”なんです。

なぜなら、流されている人は、人としてほぼ機能していません。

要するに、考えていません。

だから、誰かが意図的につくった雰囲気に飲み込まれ流されるのです。

 

 

「人間は考える葦である。」という人がいます。

そのとおりだと思います。

ならば

”考えることをしない”ってことは

”従うだけ”ってことは

”こなすだけ”ってことは

人間というより、道具です。

部品です。

僕自身も道具であり部品でした。

しかも、使いづらい道具であり部品でした。

だから”数”なんです。

集まった数字がコントロールしたい人達にエネルギーを与えます。

同時に、その数字は支持率をも表しているのです。

 

学校でも会社でも、不をは言う人はたくさんいました。

そしてその不満に終わりはありません。

しかし、圧倒的多数の人はそこに居続けます。

自分もそのひとりでした。

これといって大きな不満はないけど、違和感は常にありました。

ただ、辞める理由が見つかりませんでした。

しかし、辞めるタイミングを見つけました。

辞めようと思った瞬間、既に決断していました。

これといって具体的な理由はないけど

気持ちの中で「誰の指図も受けたくない」という思いが大きくなっていたのは確かです。

それが、支配からの卒業です。

この卒業をうらやむ人も一定数いました。

しかし誰も辞めません。

そこに居続けています。

不満を言おうがなんだろうが、最終的にそこに居たいんです。

そこに居続けるために、少しでも貢献しようとするんです。

期待に応えようとするんです。

役に立とうとするんです。

同時に、しがみつこうとするんです。

だから、都合よく利用されるんです。

 

結局はお金の為。

その為なら何でも受け入れる。

そういうことです。

だから組織の中で必要とされるよう努め

組織に忠誠を誓い、期待に応えようとする。

それが誰の為かと言えば、コントロールする人の為・組織の為なわけです。

この国に居る大多数の人が、こうした選択をしているわけです。

自分の為と思っているのでしょうが、それ以上に組織を動かす人の為になっているということです。

その証拠に、受け取る対価(お金)が違いますね。

権限も違いますね。

要するに、対等ではないのです。

それを当然と思っていること自体が洗脳教育のたまものなのです。

 

仮に、自分の望むことと一致したとしても、それはあくまで自分の望みであり目標なのです。

切り離して考えるものです。

ところが、実際は混同しているように見受けられます。

また、なぜ混同するのかも想像が出来ます。

その理由は、やはり幼少期からの教育の影響です。

子供にとって、学校での時間とそれ以外の時間を切り分けることは出来ません。

学校での時間はあくまで日常生活の一部なのですが

学校(教育)の影響が大き過ぎて、まるで日常生活が学校生活の一部のような状況になっています。

このことは、僕も含め多くの大人達が証明してきました。

大人になればなったで、”教育”が”仕事”に差し替えられるだけです。

日常生活の一部のはずの仕事が、仕事が中心になり24時間という時間を実質支配していました。

多くの人はどこかしらのピラミッド組織に所属し

その場所を離れても

勤務時間が終わっても

組織の看板と肩書をぶら下げたまま過ごしています。

どんな時もピラミッド思考は健在です。

 

しかし落ち着いて想像してみて下さい。

学校や会社や社会、そして家族であっても

誰かが誰かに従うことで主従関係が生まれピラミッド組織になるのです。

実際、なっています。

あなたが誰かに従うことで、その誰かは願いを実現しているのかもしれません。

これぞ他力本願。

他人の力で本当の願い事を叶える。

その為には、どうやって他人をコントロール出来るかを考えているわけです。

その方法が大きく2つ。

ひとつは圧倒的に不安恐怖。

もうひとつは甘い言葉と小さなおまけ。

この時使われる言葉のひとつが「期待しているよ」だったりするわけです。

それもこれも、思いどおり動かす為に言ってるだけなんですけどね。

だからたまに、甘い言葉とセットにして、お金やお金に変わる何かをばらまくわけです。

これをやり続けているのが政府行政です。

なにもここ数年の話ではありません。

昔からです。

何年前か覚えていませんが、消費税が導入されてからは打ち出の小槌です。

この数年だってワ〇チンの在庫を押し付けられ

おかしな対策、インチキ検査によって多額のお金がムダ遣いされています。

この後に待ち構えているのは増税・あるいはそれに代わる何かです。

庶民の金を好き勝手バラまき、足りないからまたよこせ!って言う政策??

だから政治も行政も要らないんですよ!

 

 

政治に依存する人が居なくなれば、選挙も政治も行政も必要無くなります。

そうすれば、ムダ遣いの為に搾取され続けている税金は無くなります。

必要なものは必要だと思う人同士がお金を出し合うという方法があります。

と言っても、すぐに目に見える何かが出来るかどうかはわかりません。

かといって、何も出来ないわけでもありません。

いずれ、自分では進む方向だけは決めています。

あとは、ちょっとづつ進むだけ。

とりあえず、「みんなが揃ったら」とかではなく、自分のタイミングで!

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

 

子供は大人に服従

しかも、親より先生が格上。

 


 

今、「お願い」は「お願い」ではなく、「命令」・「強制」に変わりつつあります。

感染拡大防止という大義名分を述べつつ、本当の目的は従わせることです。

特に、マスクだけは外させないことです。

なぜなら、みんながマスクを外せば騒動が終わるからです。

これまで隠されていた真実が一斉に知れ渡るからです。


 

誰の期待にも応えない。

何かの役に立たなくていい。

社会貢献しなくていい。

ありのままで居ればいい。

好きにすればいい。


 

この先、これまで以上にいろんな仕掛けをしてくると思います。

その時に揺らされない。

その為には本質を知ることが必要です。

何の為に行われるのか?

誰にとって得なことなのか?

(みんなではなく)あなた個人にとってどうなのか?

 

 

思ったらやってみる。

ただそれだけ。