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他人の目が氣になる。
このことは多くの人が経験していると思います。
もちろん、僕もそのひとりです。
ただし、「そういうものだ」「当たり前」「仕方ない」とは思ったことがありません。
どうしてかって?
そう思わないから。(笑)
”他人の目”が氣になる根本要因
そもそも、「他人の目が氣になる」ってのはほとんどの人が物心ついた頃から続いていると思います。
なぜなら、身近な大人達がそうだったから。
教わる必要もないくらい、子供たちはお手本を見て覚えているから。
なんだってそうだよね。
大人が思うより、子供は大人を見ていてちゃんと真似する。
また、他人に気配りが出来ると「気が利くね」と褒められる。
一度褒められればまた褒めてもらおうとする。
これも、別な意味で他人が氣になってる状態。
何が氣になるかって?
それは、他人の”評価”です。
自分以外の他人(別な個人)の評価や反応が氣になるのです。
”認められたい”という承認欲求が芽生えたり
相手の期待に応えようとするようになります。
要するに、他人中心の思考と行動です。
こんな風に、子供の頃から他人を意識することが当たり前になり、常態化するわけです。
更に「みんな」というとても曖昧な言葉を使い
「何をするにもみんな一緒だよ。」と言いつつ競争させられるわけで
みんな出来ていることが出来なかったら叱られるわけで
叱られたら叱られたで、そのことも含め氣になるわけで
要するに、他人の目が氣になるような無限ループにはめられているってこと。
何気ない思考の癖
他人中心の思考と行動がず~~っと続いているってこと。
不特定多数の他人に思考をコントロールされている状態。
まずはこの事実を認識する必要があります。
他人中心の思考でいるということは、自分を制限していることがあるわけで
即ち、その制限は我慢。
我慢してたら
そりゃ~ご機嫌さんでは居れないよね。
この我慢する要因の中に「期待に応えたい」って思いがあるのかなって思いました。
なんせ、自分がそうだったもので・・・(苦笑)
そもそも期待なんてされていないかもしれないけど
予想を超える何かをしたい。
満足してもらいたい。
相手を喜ばせたい。
そんなこと何度もあった氣がします。
だから必死だったり
一生懸命!?だったり
ただの自己満だったり
結局のところ、自己満以外は他人に対する承認欲求だったんですよ。
相手優先だったんです。
だから必死だったりするんです。
(自分優先なら必死に見えても夢中なだけだもんね。笑)
だから空回りもするんです。
期待されているかどうかもわからないのに
期待に応えられなかった!?自分を責め、勝手に虚しくなるんです。
まさに自爆です。(爆)
そもそも、期待とはエゴです。
「期待しているよ。」ってのはプレッシャーを与えコントロールしようとすること。
思い通りになれば称えられ、更に大きな期待(要求)を寄せられます。
これは会社組織で何度もみてきました。
また、今の政府を見てもわかるのではないでしょうか?
国民が政府の期待に応え、あれこれ受け入れてくれるからどんどんエスカレートしています。
支離滅裂なことを言いまくり、それにつられる庶民を利用しながら
対立と混乱を利用し、法整備を進めるという常套手段。
この記事の中でドイツの専門の内容があります。
動画は削除されていますが、文字お越しがありますのでご覧下さい。
最大のカギは増苦の常態化。
増苦が常態化が済んだらワ〇チン接種の為の口実づくり。
その為のPCR検査。
結果が陽性だと感染だ~と言い続け、今日の感染者は何人だ~の繰り返し。
「この状況だとワ〇チンしかない!」と強引にことを進めています。
彼らはウイルス何てどうでもいいんです。
増苦を常態化させ、ワ〇チンを打たせたいだけなんです。
「もちろん、俺は打たんけど」という政治屋のみなさん。
おまけに、「ワ〇チン打っても増苦はしておけよ。」
こんな要求(期待)に応える必要なんてないのです。
期待に応える必要なんてないのです。
しかし、いとも簡単に受け入れてしまう人も居ます。
権力者に背いてはいけない。
従わなければいけない。
みんな我慢しているんだから我慢しようとする忠誠心。
周りに合わせ中ればならないという罪悪感。
しかし、これらは全て他人が中心の思考。
なんで?
しかし、いとも簡単に受け入れてしまう人も居ます。
権力者に背いてはいけない。
従わなければいけない。
みんな我慢しているから我慢しようとする忠誠心。
周りに合わせ中ればならないという罪悪感。
しかし、これらは全て他人が中心の思考。
僕ならみんなで我慢をやめればいいと思うけど。
「 我慢していることにすら気付いていないかもしれない。」
ってことを意識して自分を見てみるのもありだと思います。
あなたはどうしたいですか?
わからなかったら立ち止まればいいさ。
時間をかけて考えればいいさ。
様子を見るのもいいさ。
いずれ、自分のハートを見てみないとね。
これ以外、対処法は思いつきません。
他人が何かを言ったところで個人個人が自分の意志を確かめないと
自分のハートの現状把握をしないとどうしていいのかわからないもんね。
その為に立ち止まるって結構ありだと思います。
我慢することほど、人生を不自由にすることは無い。
みんな自由なんだから。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
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