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2度目の緊急事態宣言が始まった時、急に行動が変わった人達が多くみられました。
しかし、緊急事態宣言が明けた今日、外に出ても特に変わった感を特に感じません。
宣言中は政府に従い、終わっても宣言前には戻らないってことを意味しています。
2度の緊急事態宣言で益々「従う」ってことに慣れています。
同時に、何のために増苦をしているのかがわからなくなったままです。
これが日常!?
それとも非日常!?
今日の疑問:”非日常”とは?
”非日常”ってさ、日常生活の一部です。
一般的?には、日常生活の中で体験できないことって言われるけどさ、違うよ。
それって個人の感覚でありで、考え方であり、価値観です。
いずれ個人が決めること。
昔、旅行に行くと”非日常”ってヤツを感じていました。
と言っても、毎回ではありません。
しかし、初めての環境
特に心地居場所であり、雰囲気・空気感からそう感じています。
この様に、環境を変えることで”非日常”を感じる人は少なくありません。
しかし、裏を返せば、日常がつまらないってことではなくて?
「○○の為に働いている」って人、これまで何人もみてきました。
以前は「目標が明確でいいなぁ。」なんて思っていたのですが
いつの日からか「どんだけつまんねえ日常を送ってんの?」と思うようになりました。
会社に来るといつも浮かない顔して
仕事が始まると、嫌々仕事をこなしているのがわかります。
そう、こなしているのです。
どうしたら楽に出来るか?
どうしたら文句を言われないか?
そこに関しては、僕も同じです。
とにかくごちゃごちゃ言われたくないと思っていました。
しかも、当然のように相互監視状態にあるわけで
声の大きい人の言葉が独り歩きすることも少なくありません。
好きなことをやっているわけでもなく。
氣の合う人ばかりが居るわけでもなく。
今は尚更、組織ってルールが多いだけでなく
常に周囲に氣を使いハートが削られる場所だな~って思います。(苦笑)
こういった環境に移動し、滞在するのが1日の半分程度です。
しかも時間的拘束が常に付きまといます。
例えば、9時出社ならいろんなことを逆算し、さかのぼって準備しているわけです。
しかも、睡眠時間や自由な時間さえ・・・
それがね、自分がそうしようと決めたことならいいのですが、大概は決められたことですよね!?
それでもそれがやりたい。
それでもそれが好き。
そんな風に思わなかったら、そりゃ~つまらない日常になるよね!?
こんな風に思いながらすることって楽しいはずがないよね。(苦笑)
今の社会ってはじめからつまらない日常がプログラムされているってこと。
特にここ1年は異常なプログラムを組み込まれているってこと。
だから多くの人にバグが発生するんじゃないの?
最たるものは、若者の自死。
少し前にも述べましたが、小中高生の自死。
子供達が何の希望も見いだせないような日常。
死にたくなるような日常。
そんな中、大人達は生き続けることに執着。
その為にはお金が必要。
お金を少しでも楽に多く得ることに過剰に固執し、その為には言われるままに組織の言いなり。
反対に、子供達にはお金以外のもっと大切な何かがあるのだと思います。
自分でバイトをしている子も高校生はいるのでしょうが
やはり、小さい子ほど、自分でお金を稼ぐということがありません。
だから、お金に対する執着心も大人達のようには無いのでしょう。
しかし、お金が必要なことを知っています。
故に、無意識に親への忠誠が働きます。
一時的に抵抗し思いの丈をぶつけたとしても、最終的に敵わないことを知っています。
故に、親の許可をもらえる範囲の中での自由を自由と思い
学校に行けば教師の許可する範囲の自由を自由と錯覚。
こういった制限付きの自由に関する違和感を覚えずにはいれないのかもしれません。
感受性の強い子ほどハートが繊細で
この繊細なハートが削られることで大きくバランスを崩してしまうのではないでしょうか?
そうこうしているうちにどんどんハートが削られてしまうのでしょう。
「こういうものだ。仕方ない。」と言っている大人達が日常を窮屈なものにしていると思います。
僕自身も条件付きの自由を本当の自由だと勘違いしていた時期が長くありました。
幼少期から感じ始めた違和感が年齢を重ねるごとに少しづつ大きくなっていきました。
少しづつ、言いたいことが言えなくなりました。
本当は言えなくなったんじゃなく、そこに居続けるためのことを優先したんだよね。
こんなクソつまんねえ思考と行動を繰り返すことで、”日常=つまらない”が確立されたのかもしれません。
故に、非日常を求めていたのかもしれません。
けどさ、”非日常”なんて日常の中のほんの一部だよね。
わずかな非日常より、日常が圧倒的に長くあるわけだよね。
ならば、日常を楽しいものにしたらいんじゃないのかな?
条件付きの日常・ルールやマナー?などと特定の価値観を押し付けられた日常
こんな日常要らねーよ。
かといって非日常もわざわざは要らないな~。
なぜなら、非日常なんて日常の中にあるから。
だから、何気ない日常を大事にしたらいいと思うんだよね。
何気ない日常こそ、めちゃくちゃ大切!
「増苦は必要ない。」
「むしろ、自己免疫力を低下させるだけだ。」
という人の中に、「ノーマスク」ってことを言う人が結構いるんだけどさ
わざわざ「ノーマスク」って言ってること自体、増苦することが常識!?って言っているように感じます。
「ノーマスク」ってどこか特別な人って言っているように聞こえます。
それぞれが好きにすればいい。
人は目的のないことはしないだろうから・・・
”マスク”と”増苦”は別物です。
その違いは
”目的”があるかどうか。
”我慢”しているかどうか。
”必要”って思っているかどうか。
やっぱ増苦なんですよ。
結局、2度目の緊急事態宣言で変わったことはいろいろありますが
何より、子供達の増苦装着が爆上げしましたよね。
以前は増苦していない子供達が急に増苦し始めましたよね。
しかも、非常事態宣言が解除された今日も爆上げしたままの状況は変わりません。
確かに、たった1日ではありますが、2度目の非常事態宣言の後は1日目から変わっていました。
この子供達を動かしているのは親をはじめとした大人達です。
特に親にまで大きな影響を与えているのがテレビをはじめとした大手マスコミです。
また、国であり行政機関であり、医療関係者であり、学校です。
この人達に「コントロールしないで」といったところで聞く耳は無いでしょう。
だからお子さんを持つ親御さんたちには特に、事実を知ってほしいと思います。
何のために、今、この様な状態になっているのかを。
以前も添付しましたが、やはりコレとっても大切なことだと思います。
見た人も見ていない人も、是非ご覧下さい。
また、360件のコメントも読んでみるとおもしろいと思います。
※初めて超次元ライブをご覧なる方は前説編0と、ディスクローズ編1.2をご覧いただくと理解が深まります。
「増苦してればいいじゃん!」
この思考で日常がつくられるってこと。
そして、非日常を求める時も常に増苦は当たり前という日常がつくられるってこと。
今まさに常態化しているよね!?
先程も述べましたが、2度目の緊急事態宣言で大きく変わったのは
子供達の増苦着用の常態化です。
こういったことのがこれからも子供達ばかりでなくあなたをも追い詰めていくことになるかもしれません。
日常が嫌で非日常を求めたとしても、根本が変わらなければ何も変わりません。
そして、誰かを待っていても何も変わりません。
それどころか窮屈になるだけ。
そもそもだけど、自分の日常は、自分が考え・選び・創るもの。
ちょうど季節の変わり目だし、自分のクローゼットの中、見てみたら。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。