ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:我慢を我慢とも感じず続けられるのはなぜ?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今も続いているこの状況 今年1月末からず~っと異常だと思っています。

最初は「こんなのおかしい!」って多くの人が気付くと思っていました。

ところが逆方向に超加速していきました。

政府マスコミの影響!?もちろん想像はつきますがこれほどまでに!?という疑問しかありません。

疑問というより、冒頭述べたとおり異常だと思っています。

今では、薄々「おかしいかも!?」と思っている人も多いのではないでしょうか?

なのになぜ039したままなの?

それって我慢しているのではなくて?

本当に必要と思ってやっているの?

 

 そもそもこの2つは全く違うことです。


 

 

今日の疑問:我慢を我慢とも感じず続けられるのはなぜ?

 

 

今日のテーマはここ何か月もの間ずっと考え続けてきたことです。

しかし、僕は僕でしかないのと同時に、あなたを含めた全ての他人のことなど知る由もありません。

それでもひとつ感じることがあります。

細かな理由は個人個人違うのでしょうが、“多くの人に共通している”と感じていることがひとつあります。

それは、『我慢』です。

我慢については当ブログで何度となく書き綴ってきました。

それは自分自身が生まれてから年の数だけやり続けてきたことだからです。

日常の中のいろんなことに違和感を感じつつ我慢し続けてきたからです。

「我慢のプロ!?」自分ですら自分のことをそんな風に思った時期もありました。(苦笑)

この『我慢』こそが、生きづらさの最大の要因である。

という答えを何十年もかけてやっと出しました。

更に、「我慢」を誘発させる要因は何なのかを考えました。

最終的には自分の思考だということは重々承知しています。

それを踏まえた上で、「“会社”というピラミッド組織に居ること」という結論に至りました。

しかし、すぐには辞めることが出来ませんでした。

なぜなら、我慢は簡単に出来ちゃうんです。

特に組織にいると・・・

 

組織自体が、社員に対し洗脳ビジネスを行っているといっても過言ではありません。

なぜならそこで宗教的概念を教わり、組織にとって都合よく利用するからです。


 

これまでの思考の癖の中に『我慢』が常にあったから。

物心がついた頃から当たり前にやってきたことだから。

我慢するのは当たり前。

我慢できるほど素晴らしい。

故に我慢できないのは恥ずかしい。

大人として、社会人として、〇〇として恥ずかしい。

即ち集団の中のひとりとして恥ずかしいという概念を生まれてからず~~~っと刷り込まれてきたから。

まさに組織による宗教的概念です。

しかも組織毎に違います。

まるで宗派が違うかのように(苦笑)・・・

 

「組織」による宗教的概念の刷り込みが、「個人」の自由を奪っています。

なぜなら組織はピラミッド型で必ず特別な存在がいるから。

だから、常に個人は蔑ろ。

常に優先されるのは組織であり、組織を動かす人達。特別な存在。

故に、多くの人は「本当の自由」ってヤツを知らない!

制限された中での自由を、せま~い世界観の中での自由を自由と錯覚している。

だから、我慢を我慢とも感じず続けられるんだよ!

条件だらけの自由。

ルールだらけの自由なんて、自由なんかじゃない!!

 

4年半前に会社を辞め、我慢しない生活を始めました。

寝たい時に寝て、起きたい時に起き、食べたい時に食べたいものを食べ、何のルールの無く氣ままに過ごす。

おかげで、辞めたご褒美に買った時計も3回くらしか使わず眠ったままです。(笑)

「我慢しない」の練習は在職中からやってはいたのですが、やっぱ制限が多過ぎました。(苦笑)

それでも、あきらかに思考も変わり、準備運動にはなったと思います。

辞めてからは、「我慢しない」の実践です。

といっても、特別何かをするわけではなく、ただ「我慢しない」というゲームをやるだけ。

何気ない日常を、思ったまま・感じたままに気ままに体感すること。

ただ、それだけ。

ところが長年続けてきた「我慢する癖」がたまに顔を出します。

例えばこのブログ。

最初の頃、「90日は続けて書いた方がいいよ。」と聞いたのでそうしようと思っていました。

しかし、ある時「続けなきゃ」と思っているかも!?と自分で思ったんです。

だとしたなら、これって我慢です。

なので、そのタイミングで何日か休みました。

その後いつからかわかりませんが、これといってイヤイヤ我慢した覚えがありません。

だから今回の一連の騒動も窮屈さは感じていますが、これといって我慢はしていません。

唯一する我慢は“積極的我慢”です。

やりたいことの為に避けて通れない時、それでもやりたいと思った時

その途中にある障害物を、我慢ではなくゲームとして楽しもうという考え方です。

 

 鏡に映る自分を客観的に見れば、その時の自分が理解できるのでは!?


 

 これもまた、”我慢”の要因のひとつです。

 

 

結局、我慢をしている限り自由は無いということです。

もしここで「仕方ない」と思うなら、仕方ないと感じる現実を創るでしょう。

しかし、「我慢が嫌だ」と思えば、それに見合ったActionをし、そのとおりの現実が創造出来ます。

これ検証済です。

特にここ6、7年、意識が少しづつ変わる中で試してきました。

何を言ったところで、自分の目の前の現実が思考の答えです。

 

 「仕方ない」は要らない。

 

 

思考は一瞬で変えられることもありますが

「我慢」のように長い年月かけて習慣化したことはすぐには変えられないようです。

しかし、続けていれば変えられます。

続けている時点で、変わっています。

だって変わりたいから続けられるんでしょ!?

だから、いろいろやってみるんでしょ!?

だから変わります。

そして、そこには我慢は存在しません。(笑)

我慢が存在しないどころか気持ちイイです。(笑)

もちろん検証済です。(笑)

 

まずはひとつ。

今、我慢していること

やめてみれば~(笑)

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

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