ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:「覚悟」とは?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

一歩外に出るとそこは異様な光景。

変わり果てた日常。

フェイクニュースが吹き荒れるまではなかったものばかり。

けどさ、自分の現実は自分が創造出来るわけで

だからね、覚悟を決めたよ。

 

 

今日の疑問:「覚悟」とは?

 

 

覚悟とは

自分がどうしたいのかを決めること。

迷わないこと。

逃げ道を作らないこと。

 

 

ひとつの大きな嘘が現れました。

この嘘をひた隠すために、次々に嘘を重ねます。

政治屋や大手メディアは、毎日毎日嘘のデコレーションをし続けています。

やっていること全て、何一つ整合性がとれていません。

こんな、ないとんちんかん劇場に付き合い続けているのが多くの庶民。

しかも、「?」と思いながら・・・

国が言うから、会社が言うから、お店が言うからそうしている。

みんながしているからそうしている。

人の目が気になるからそうしている。

これらは全て他人主導の人任せ。

自分の車があるのに・自分の足があるのに、いつも誰かの車に乗ってる。

しかも、自分に行きたい場所を伝えられない。

だから一緒に乗り込みひたすらついていく。流されていく。

そのうち、この方が楽だし、任せていればいいやと思う。

理不尽なこともあるけど仕方ない。

みんな我慢しているんだから。

これを続けていたら、永遠に何かに依存し続けることになります。

依存と引き換えに言いなりになります。

常に誰かに依存し操られることになります。

というより、今既にこの状況が加速しています。

まるで、命令と監視を受け続ける人間型ロボットです。

どこまで人間を手放し、ロボットに近づけるか?というゲームです

このゲームを最後までやり続ける覚悟はありますか?

 

僕はその覚悟が無いので別の覚悟をしました。

国や行政をはじめとした「組織をあてにしない」という覚悟です。

「組織がつくるルール(マインド)」より、「自分の生き方(直感)」を大切にするという覚悟です。

だから、いちいち空気なんて読みません。

そもそもどんなことも自分が決めているんです。

この決め方が他人主導なのか、自分主導なのかが違うだけ。

僕が言う自分が決めるは自分主導です。

自分がどうしたいのか?

どう在りたいのか?

自分の中の根幹にある大切にしていることをあらかじめ決めておくこと。

これに沿ったぶれない行動こそが覚悟です。

 

 

日本人お得意の、曖昧さ、中途半端、どっちつかず、損得勘定

これらの行く先は、結局誰かへの依存

しかし、この依存に慣れ親しんだ多くの人達は何も疑問を感じないのかもしれません。

疑問が湧かなければ調べることもない。

調べることもなければ事実にたどり着くこともない。

これまでと同じく、誰かが運転する車に乗せられ、命令と監視を繰り返すだけ。

何も変わらない。

何も変わらないだけでなく、より窮屈にされ、「あれ?」と思ってもそこから抜け出せなくなります。

いや、抜け出そうと思わなくなります。

まさに今、世界中の多くの庶民はこんな感じになっています。

この状態、経験あります。

会社員時代の僕です。

 

上司に「辞めます!」と宣言し、話したことが2回あります。

1回目は、モヤモヤしたまま先延ばしできないと思い留まりました。

2回目は、あっさり会社を去りました。

この違いは何だったのか、僕は知っています。

それは覚悟があったかどうかです。

1回目は本気じゃなかったってことです。

自分がどうしたいというより、こう聞かれたら、こう答えようみたいなことを考えていました。

要するに決めてない。

だから、この曖昧さを見抜かれ、説得された。

説得されたというより、ただのひとり相撲。

覚悟以前に、自分がどうしたいのかが何も決まっていませんでした。

激しい自己嫌悪に陥りました。

組織や上司への忠誠心も無く、仕事への意欲もないのに・・・

全てに対し失礼だと思い、自分を責め、ただ何かを取り替えそうと必死でした。

必死になればなるほど空回りしていました。

それでも必死でした。

目的がないまま、ただ走り続けようとしていました。

目的が無いのに走るってどこに向かって走ってんの?って話です。

手段である「走る」ってことが、いつしか目的になっていました。(苦笑)

途中、そのことには気付いたんです。

でも、どうしようもなかった。

その時はどうしようも・・・

 

 一度切れた気持ちを繋ぎ直し、撒き戻すことは容易ではありませんでした。

何もなかったかのように立ち振る舞う窮屈さ、僕には無理でした。

それから2、3年経った2016年4月末辞めることを決めました。

この時はある一瞬で決めたのですが、清々しい気持ちでした。

何の迷いもありませんでした。

決断!?覚悟!?

そんな意識すらありませんでした。

辞めようと思ったことは数知れずですが、本当に辞めようと考え始めた2011年の震災の時です。

既に5年が過ぎていました。

「おめでとう!」(笑)と言う人は何人もいましたが、引き留める人は誰一人いませんでした。

自分では意識がありませんが、これが覚悟の結果なのだと思います。

以前はこの「覚悟」がなかったから、簡単に説得!?され、反対に追い込まれました。

追い込まれたというより自爆ですね。(苦笑)

そんなことも、今となってはただの笑い話です。(笑)

 

 

これまでも5656騒動なんてはじめから存在しないと述べてきました。

一歩外に出ると、変わり果てた光景が目に映ります。

このままでいいなら、このままでいいという覚悟。

違うタイムラインがあるなら、それを実現する覚悟。

どっちにしても覚悟はしておいた方がいいのでは?

だってさ、中途半端は一番しんどいからね。(既に検証済です。)

だから今、改めて覚悟を決めました。

自分がどうしたいのか?どう在りたいのかを、改めて確認し覚悟を決めました。

だから、引きません。

けど、争いも対立もしません。

思考をだつりょくした普段の自分のままで!

テキトーで、のん氣な、ありのままの自分スタイルで「今」を生きるよ!(笑)

 

  

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

 意識が有るか無いかは別として、選択や決断には覚悟が付き物。

 


 

覚悟を決めるうえで、これ必要になるかも。

 

 「これでいいのだ!」ってこれも覚悟ですね。(笑)

 

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