ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問: ”氣あたり“ってなあに?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

あなたは今いる場所はどんな気分ですか?

 

 

今日の疑問: ”氣あたり“ってなあに?

 

“氣あたり”

そもそもこの表現が的確なのかどうかもよくわかりません。

しかし、“氣(気)あたり”って調べてみたらごく当たり前のように使われていました。

使っているのは、きっとごく一部?ごくごく一部?稀?だと思います。

自分の周りでは自分以外にこの表現を使う人はいません。

 

 

僕が認識している“氣あたり”とは“食あたり”の氣(エネルギー)版です。

それを僕は“氣あたり”と表現しています。

“氣あたり”とは、気が合わない状態のことです。

そこに居るだけで、気分がすぐれず不調をきたすことです。

 

 

もちろん、”たられば”は無いのですが

僕が会社を辞めた時、職場のロケーションが別の場所なら辞めていなかったかもしれません。

もちろん、ロケーションだけの話ではなく、自分の身を置く環境 トータルでの話です。

だから上司に、話をしていました。

「仕事の好き嫌いとかそんなんじゃなく、この場所に居れなくなる日が近づいています。」

「その日が突然やって来るかもしれません。」と・・・

上司は、疑うでもなく茶化すでもなく、「どういうことか」と聞いてきました。

僕は「波動が合わないんです。」といい説明しました。

腑に落ちたかどうかはわかりませんが、それとなく伝わったように僕には感じました。

ワンフロア200人もの人がいて、PCやら何やらの端末が人の数倍存在しています。

社内LANも有線から無線に変わっています。

自分のスマホだけでも、PCだけでも指先がしびれます。

それとは別に、200人の人が働くその職場の“氣”です。

ほぼ、重苦しいのですが、時々とても苦しいのです。

そこに居る人達の緊張感、ストレスのエネルギーが充満しているんです。

この重苦しいエネルギーが苦痛なんです。嫌なんです。(泣)

とにかく、氣(周波数)が合わないんです。

何かが見えるのではありません。

ただ感じているんです。

だから説明しきれません。

 

こういったことは、このことだけでなく僕らの日常に常に起こりえます。

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車の中も同じです。

初めての場所でもあります。

行き慣れた場所でさえ、ある日突然ってことあります。

呼吸が苦しくなり、目を明いているのもしんどくなり、一時的に身体の機能が停止する感覚です。

表現できない苦しさに襲われます。

しんどくても、場所を変えないことには回復しません。

場所を変えることと時間の経過で回復してきます。

 

 ホント、身体はハートの代弁者です。


 

思えば子供の頃からでした。

特に神社仏閣に出かけた時。

(学校行事や観光地と言えばお約束ですからね。苦笑)

けど、言わなかった。

だって、常にじゃないし、説明しきれないし、心配されたりするのが嫌だった。

周りに迷惑をかけ混乱させるのも嫌だった。

とにかく気にされないようにしていました。

もちろん、誤解されるのも嫌だった。

その頃は我慢が出来たから・・・

しかし、社会人になってからは段々きつくなってきました。

10年位前ですが、今では多くの外国人にも認知される神社の鳥居の前で、自力では動けなくなったことありました。

それ以来、通り過ぎることがあっても、わざわざ出向くことはありません。

 

 

そう言えば、“氣あたり”を検索すると神社仏閣が出てきます。

また、“スピリチュアル”みたいのものも出てきます。

神社仏閣に行って“氣あたり”するのは、むしろ自然なこと?です。

「は?何言ってんの?」って思われますか?

神社仏閣ってどんな所でしょうか?

簡単に言えば、エネルギーが重い場所です。

「嘘でしょ!?」という方は、思い込みです。

または、あたりの景色をみて「気持ちイイ」と錯覚していると思います。

プラシーボ効果みたいなものです。

 

ところが、当然のことながら神社仏閣に関わる人の多くは知りません。

なぜなら、こういうものだと思い込んでいるからです。

完全に習慣化され取り込まれているからです。

何より、仕事=商業ベースで考えているからです。

だから、自分のやっていることに疑問を感じません。

スピリチュアルも、概ねそんな感じで使われがちです。

どちらもスリード多発です。

 

ポジティブな言葉を並べることがお金になり、不安を煽ることはもっと多くのお金になります。

不安を煽り続けることは、ある種・ロイヤリティー収入のようになるわけですから。

言うなれば、お金を支払い、不要な薬を飲み続けるのと同じことですね。

だから、自分で判断することです。

判断するにあたっては、頭で考えること・誰かの意見・アドバイスを聞くことより

自分の感覚を大切にすることです。

頭で考えた後に何かを感じたなら、その”何か”を優先です。

 

 

「お参り」という習慣 僕にはありません。


あまりに誤解され過ぎている言葉のひとつです。

自分自身のことなので、わざわざ他人に介入されることではありません。

 

 

「直感」も、波動エネルギーのひとつであり、目には見えません。

かつ、自分だけのも・自分だけの感覚です。

だから、他人にも説明しきれません。

これがハートの声です。

だから、ハートの声には証拠も根拠も裏付けありません。

しかし、自分にとってとても大切なものです。

 

また、ハートの声が聞こえた時、その声を無視しないで下さい。

聞こえたその声を無視すると、ハートの声がわからなくなります。

直感が薄れてしまいます。

”ハートの声”がオオカミ少年になってしまいます。

 

 「直感」とは、自分だけのものであり、目に見えないエネルギーです。

 

 

今、あなたのいる居場所の居心地はどうですか?

頭でなく、ハートで感じてみて下さい。

あとは、自分で決めて下さい。

 

 あなたの居場所は、その都度あなたが決めて下さい。


 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。