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オープンカフェに居たら、通りすがりにの小さな子が、陳列されたパンを見て「あれ食べた~い。泣」と言いながら、手を引くお母さんに必死で抵抗していました。
靴をはいたまま、その両足はまともに地に着くことなく、お母さんの左手一本で引きずられていました。
子供を引きずりながら、お母さんは「恥ずかしい真似しないで!」と眉間にしわを寄せ怒っていました。
姿が見えなくなっても聞こえる「あれ食べた~い。泣」という子供の声
それを見て「ナイスファイト!!」と言っている自分がいました。
姿が見えなくなっても叫び続けるその子のファイトスタイルがいつまでも僕の中に残りました。
今日の疑問: 感情を表に出しちゃダメなの?
泣き叫び続ける通りすがりの小さな子を見て、なんかいいな~って思いました。
自分の感情をシッカリ表現出来るって素晴らしいと思いました。
ありのままの自分をさらけ出せるって本当に素晴らしいと思います。
けど、今では?いやずっと前から、感情を表に出すことはみっともないことであり、年齢を重ねれば重ねるほど恥ずかしいことのようになっています。
「人間性が低い。精神性が低い。大人になり切れない。」などと表現されます。
感情表現することが良くないことと教え込まれ続けています。
本当にそうなんでしょうか?
感情を内側に閉じ込めることで、「“我慢”・すなわち“ストレス”が生じます。」
外に出せばスッキリするのに、それを蓄積することで溜まってしまいます。
まるで老廃物を蓄積しているように・・・
それは心の便秘です。
便秘になるといろんな不具合が出てくることはお分かりだと思います。
あまりに多くの感情を押し殺し続けていると、自分の本当の感情がわからなくなります。
本当はどうしたいのかがわからなくなってしまうのです。
だから、感情はシッカリ出し切るなり、昇華した方がいいと思います。
自分が子供の頃、ただの一度も誰かに何かを求めたことがありません。
きっと誰かに期待するという概念が自分の中になかっただけだと思います。
だから、お母さんに引きずられながら泣き叫ぶ小さな子の素直さに惹かれました。
限られた範囲ですが、自分が欲しいものは自分で手にしていました。
物わかりのいい!?大人から見たら扱いやすい子供だったと思います。
“わがまま”を言わないことで褒められることもありました。
お手本にされることも時々ありました。
そんな時「そんなんじゃね~」っていつも言っていました。
幸い親はそのことを理解してくれていました。
独立心が強いだけだと・・・単に自分のことは自分でやりたいだけだと・・・
だから、嫌な時はハッキリ顔に書いていました。(笑)
言葉にせずとも全てのエネルギーを顔で表現していました。(笑)
困ったのは、大笑いしていると「もっと静かに」なんて言われることです。
いつも、「どうすんだよ!」と思っていました。
年齢を重ねる中でいつしか、「感情を顔にだすもんじゃない!!」と叱られるようになりました。
母親には「そんなことしていたら、お前も恥ずかしいけど、親も恥ずかしい」と言われていました。
なかなか出来ませんでしたが、社会人になる頃には結構意識していました。
同時に、「結局はいい子ちゃんでいろ!恥をかかせるな!」ってことなんだと思い不満を感じていました。
いざ、社会に出ると、そこは母親の言った通りの所でした。
我慢するのが当たり前!それが出来ないヤツは未熟者であり社会人として、大人として恥ずかしいと・・・
相手の感情をくみ取り対処することが当たり前みたいに・・・
まあ、これに関しては組織の“上の人”に対してのマナー?のように・・・
だから、すぐに息苦しく窮屈に感じました。
これから先、ずっと自分に嘘をついて生きていくの?と思いました。
「嫌だ!おかしい!」と思いつつその環境に居れば、知らぬ間に染まっていきます。
「こんなんじゃね~」って思いながら、その感覚さえ時に忘れてしまいます。
“朱に交われば赤くなる”そういうことなんでしょう。
そこから抜けようと何度も思っては立ち止まり、本当に抜けようと思って行動した時には抑え込まれ、そのうち何かを大きく変えるまでの行動がなくなりました。
それでも「やっぱおかしい」という感情がいつもありました。
時々忘れそうな時もありましたが、長~い間ずっとずっとず~~~っと忘れませんでした。
しかし、いつしか自分の作った既成概念・自分の作った限界を突破しました。(笑)
人間には喜怒哀楽という感情があります。
それ以外でも表現しきれない感情があります。
しかし、どの感情もあまり認められている印象がありません。
全ての感情がある一定レベルに抑え込まれている。そんな感じがします。
喜:嬉しい時でさえ、静かにしなさい。
怒:我慢しなさい。
哀:ほっときなさい。
楽:楽することはよいことではない。
俗にいう“愚痴”も必要なんだと思います。
なんたって感情の解放ですから・・・
しかし、言う相手や場面は考える必要があるかもしれません。
かといって、封印する必要はないでしょう。
やはり、感情を出し入れする循環が必要だと思います。
我慢を続けると心身の不調をきたします。
「人間性が高い」と誰かに言われるより、自分自身が「楽しい・心地いい」を感じる方を僕は選択しています。
おかげ様で、「元気な小学生みたい」なんて言われることもあります。
そんな時僕は、「めっちゃ褒められた~」って思いながらちょっと照れています。(笑)
これが、まんま自分です。(笑)
感情は自分だけのものです。
だから大切にしましょう。
“誰か”ではなく、まず自分の感情を!!
とても長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
僕らはみんな、元・赤ちゃんです。
人の意見(考え)は、あくまで人の意見であってあなたの意見とは違います。
「だって」という感情。そのままにしないで下さい。
誰もが唯一無二の個人です。
そんな自分しか感じられない感情を大切にしましょう。