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「身近な人全員に人格否定されていますよ~」って笑いながら、いろんな話をしてくれた人がいます。
身近な人全員?人格否定?
随分と大層な話ですね。
今日の疑問:“否定” するホントの理由?
否定する。
即ち意見(思考・行動)が違うことを意味します。
氣が合わないことを意味します。
根本的な要因は、比較し、良し悪しの判断をすることにあります。
耳タコとは思いますが、全ては波動(エネルギー)で出来ています。
波動(エネルギー)には良し悪しはありません。
重い・軽いはあります。
好き嫌いはあるでしょう。
つまり、波動の周波数が違っているということです。
けど、意見が違ったからといって否定する必要はないよね。
「あなたはそう思うんだね。」で、いんじゃない?
これが“尊重”であり介入しないことです。
なのに、身近にいる人ほどしがちです。
なぜでしょう?
それはこれまでの相手に対する印象です。
「この人はこう言う人。」という印象です。
自分がイメージしていたその枠から出た時、否定を始めます。
自分とは違う思考というだけで否定をしています。
けど、否定するホントの理由は
・そのままでいて欲しいと思っているからです。
・自分が出来ないことをやろうとしているからです。
・抜け駆けされるのが嫌だからです。
実際、親子間で見受けられるシーン。
子供が何かをしたいと行った時に親が反対するシチュエーション。
親は、子供がやりたいと言っていることを理解していません。
情報が足りていません。
親は自分の知らないことを言われ感情的になりがちです。
感情的になった時、子供の感情は吹っ飛ばし、上から目線で説教を始めます。
出来ない理由をありったけ並べます。
冷静な話し合いになかなか向かいません。
相手のことを尊重することも、信用することも、聞き入れることも出来ません。
ちなみに、人格否定までされたと笑っていた人は、「みんな離れていった。」と・・・
おかげで、いろんなことが整理できたとも。
だけど、似たような人が少しづつ増えてきたとも言います。
やっぱり、変態には変態が寄って来るって・・・
「ですよね!?」と僕を見ていました。(笑)
僕も否定できませんでした。(笑)
その後も、「一般的にはどうなんでしょう?」なんて話をしましたが、一般がよくわからない二人にとって、“一般的”は想像でしかありません。
僕が仲良くしている人の間でも“一般的”とか、“普通”という言葉は会話の中で時々使われています。
その会話の中で「・・・・・な場合って普通の人ってどう思うのかな?」ということを時々聞きます。
その理由は、多くの人は仕事をしているけど、僕は仕事をしていないからです。
いろんな人がたくさん我慢して生きていることを知っているからです。
また、自分は我慢はしないし、やりたいことしかしないからです。
こんな感じでのんきに生きている人って、少数派だということを理解しているからです。
何年か前の自分が普通?と思っていた普通が今も“普通”として続いているのかわからないからです。
過去も未来もなく、あるのは「今だけ」ということを理解しているからです。
だからつい、一般的にはとか、普通は・・・という聞き方をしてしまいます。(笑)
ところが、今のような生活を2年以上している僕が「普通はどうなんだろうね?」と聞くと
「俺(私)も、一般的とか普通がわからなくなったよ。(笑)」なんて言われたりします。
けど、これが自分たちにとっての普通!?なんだと思います。
もちろん、全てではありませんが、氣が合う状態です。
だから!?否定されることがありません。
「ゆるむ@はこういう奴だから」と尊重してくれます。
お互い心地よく過ごせます。(笑)
これからも、外の情報・外の出来事に惑わされず、「今」自分の目の前にある現実をみていればいいと思っています。
一般的?普通?では受け入れられない、「我慢しない、やりたいことだけやる。」を少しづつでも取り入れることで、僕は今の自分に変わりました。
そうすることが、今を楽しく・次の今も楽しく生きるコツだと思っています。
「我慢をやめて、やりたいことだけやっていると、ゆるむ@みたいになっちまうのか~」と思ったあなた。
安心して下さい。
同じようなことしても、起きる現実は、あなたが思考したことだけですから。(笑)
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
これが“変態”と呼ばれる人たちの共通点だと思います。(笑)
誰もが唯一無二の“個人” です。
代わりはいません。
“否定” されるかもしれませんが、自分では進化(深化)し続けていると思っています。(爆)