ご訪問いただきありがとうございます。
こんな風に思ったこと、い~~~っぱいありました。
言葉に出たこともあります。
また、人の言葉も聞いても来ました。
今日の疑問: 「良かれと思って・・・」の“根っこにあるも”と、“その先にあるもの”とは?
「良かれと思って・・・」
根っこにあるのは、植え付けられた「恐れ」・「不安」です。
その先にあるのは、“後悔”や“不信”などの「ストレス」です。
なぜ、根っこには、恐れや不安なのでしょうか?
ズバリ、“脅育収監”です。
列を乱さぬよう。
列から外れないよう仕向けられ、「(都合の)いい子でいましょうね。」
「外れると、自分が困るし、周りの人にも迷惑かかるんだよ。」という柔らかめの“脅迫”です。
これにより、根っこにはいつも“恐れや不安”があります。
それらを取り除く暇がないように次から次へといろんな仕掛けが準備されています。
自分のハートが「なんかおかしい」と思っても、洗脳が深すぎてなかなか対処出来ません。
「そういうものなんだよ」
「仕方ない」
「みんなそうだから大丈夫!?」
そんな風に教わったことを言葉に・行動に移すと、その先に「良かれと思って・・・」が、あります。
「こんなつもりじゃない・・・」
「こんなはずじゃない・・・」
「〇〇さんのために」
「一生懸命やったのに・・・」
「褒められると思ったのに・・・」
自分のことはさておき、何かのため・誰かのためにやったことが違った。
「思い違いだった。」
「先回りしたのに・気を利かせたのに、嫌な思いさせた。」
「自分は何をやっているんだ。」
などと後悔し、自分を責め、結果ストレスが溜まる。
僕個人は、ストレスは溜めることも常駐させることも不要だと思っています。
もちろん、僕の思いをあなたに強要するつもりはありません。(笑)
ただ、学者と言われる人達も含め「“ストレス”こそ、人を成長させる。」という人の存在も知っています。
そもそも“成長”なんてものは不要なのです。
なぜならコントロールするために使われているだけですから。
いずれにしても“全ての人”が同じ考え・同じ行動になることはないと思います。
ならば、「あなたはそう思うんですね。」と“尊重すればいんじゃな~い。”って思います。
なのに、“特定の人”が「基準」をつくり、支配・コントロールしようとしています。
あまりにこのようなことが多すぎて、落ち着いて考えることもなくなっています。
俗に言う「忙しい」という状況をつくられ考えさせないように誘導されています。
“これが当たり前”てな感じで、しれ~~~っと刷り込まれています。
現状把握すら出来ないように仕向けられています。
自分のことを考えないように仕向けられています。
僕は「忖度」って言葉を最近まで知りませんでしたが、たっくさんやっていました。
言葉の意味を知らないことを、数え切れないくらいやっていました。
多くの一般大衆の人達はこの「忖度すること」を刷り込まれているのです。
常に自分を後回しにし、「人を大切にしましょう」などと、刷り込まれてきたのです。
“自分”がいつも、どっかに行っちゃってるんです。
意見が違うとすぐに「わがまま」・「身勝手」などとレッテルを貼られたりします。
また、そうならないよう“相互監視”されています。
誰かが命令しなくても、思考の操作をされ続けた人はそれが“当たり前”になるのです。
周りの目・周りの反応ばかりを気にし、自分を押し殺しているのです。
それが出来たら「お前も大人になったなあ」なんて言われるようになります。
そこでまた、「大人とは・・・」という基準らしきものを更に植え付けようとします。
支配・コントロールしようとする人が手を下さなくとも、今までの「忖度」の習慣や、「相互監視」の状況がアシストしちゃっています。
「良かれと思って・・・」なんて言葉は必要ありません。
重要なことは、何よりも“自分が自分でいること。”
あなたは、誰かによって造られているのではありません。
誰かを思う前に、「自分がどうしたいのか?」・「自分がどうありたいのか?」
僕はこれを最優先に考え、生きています。(笑)
長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
過去記事も、よかったらご覧下さい。
「あなたがあなたでいること」は、どっちでしょうか?
「忖度」という思考・「忖度」という習慣は、あなたをあなたで要れなくします。
あなたのことを決めるのは、あなただけです!!!!!!!