ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:“人に合わせる”とは?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

人に合わせられるってなにか特別なことでしょうか?

そもそも、根底にはどんな思考があるのでしょうか?

 

 

今日の疑問:“人に合わせる”とは?

 

■人に合わせられる人はこのように表現されます。

「素晴らしい」

人間性(精神性)が高い」

「包容力がある」

「大人」

これらをひっくるめて言うと『いい人』となるのでしょうか!?

 

■人に合わせられない人をこのように表現します。

「自分(身)勝手」

「自己中」

「わがまま」

「子供」

これらをひっくるめて言うと『社会不適合者』となるのでしょうか!?

 

 

人に合わせられることが「良い」ことのように。

人に合わせられないことが「悪い」ことのように。

しかし、良し悪しの判断すること自体がナンセンスです。

なぜなら、個人によって解釈・考え方が違うからです。

では、実際はどうでしょう?

個人の意見などいちいち取り上げられることがありません。

なぜなら集団だからです。組織だからです。

個人の尊重が無いからです。

特別な存在がいるからです。

対等な関係じゃないからです。

家の中での親と子

学校での教師と生徒(教師には役職もあります。)、

組織(学校・会社など)先輩と後輩・上司と部下などです。

では、この人達は何を見ているのでしょうか?

それは、他人です。周囲の人です。

だから“みんな〇〇”という言い回しをします。

“みんな”という”和”から外れた時の恐怖を植え付けます。

(そもそも、この”和”に居たいのか疑問ですが・・・)

いずれ、このようにして、思考とActionの範囲が限定されるよう仕向けています。

 

 

そもそも、“人に合わせる”を教えているのは親や学校が始まりです。

“集団”という組織(家庭であり、学校)の体裁ばかりを気にしています。

まず最初に特別な存在が誰なのかを教えます。

次に少数で大勢をコントロールするためのルールや決め事をつくります。

この2つが刷り込まれる中で、「暗黙の了解」・「損得勘定」・「忖度」・「忠誠心」などが刷り込まれます。

義務教育期間の9年間これらを続けたら、どうなるでしょうか?

 

 

思考そのものがコントロールされ、元々あったはずの可能性を自ら放棄しします。

しかも、そのことにすら気付きません。

マニュアル的な決め事がなければ、誰かの指示がなければ、何も出来なくなります。

いつしか、自分の意見を持たなくなります。

この「自分の意見を持たないこと」こそが、人に合わせるってことです。 

 

 

義務教育の9年間で「”自分の意見”を持たなくても大丈夫!」という歪んだ安心感を植え付けます。

しかし、コントロールされることを嫌う子もいます。

反発すると考え方を否定され、先生ばかりか親も一緒になって押さえつけます。

時に、ありもしない病名をつけられ“病人”扱いされます。

先生は「〇〇さんは・・・でお休みします。」とクラスメイトに伝えます。

 

このようなことは、学校に限らず、あらゆる組織・あらゆる集団で起こりえますし、起こっています。

大きな組織であればあるほど、“自分”という存在をちっぽけな存在と思い込みます。

気付けば、セルフイメージが低下しています。

「自分が何かを言ったところで何も変わらないし・・・」

「意見を述べただけで、協調性がない」という言葉で、まるで人格否定をするような言葉を発する人もいます。

まるで、協調性がない=犯罪者!?のような扱いを受けたりする場面も目の当たりにしてきました。

そう言ったことも含め、いろんなことが面倒になり、妥協と諦めを繰り返し、考えることをしなくなります。考えないってことは、受け入れるだけで、疑問も感じません。

疑問を感じたとしてもすぐに打ち消してしまいます。

 

 

コントロールしたい人達が使う大好きな言葉。


 

組織に所属するってことは、自分を押し殺し、組織にとって都合よく立ち振る舞うってことです。

今思えば、随分長い間“会社”という 大きな組織に居たものです。(笑)

そもそも“人に合わせる”ってこと自体、必要ないんですよ。

必要なのは、互いの尊重。対等な関係。これだけです。

けど、組織はこれを許しません。認めません。

なぜなら、都合よくコントロール出来なくなるからです。

人(組織)に合わせなくなると困るんです。

だから、一生懸命ストレスを与え続けます。

個人の尊重どころか、自尊心の破壊を企てます。

 

じゃあ、どうすればいいの?ってことですが、互いの尊重。対等な関係。をつくることです。

特別な存在をつくらないことです。

そういった人達が集まった集団は、組織ではなくチームです。(あくまで個人の主観です。)

ってことは、支配・コントロールしたい人達にとって

「組織」は、『いい人』の集まり。「チーム」は、『社会不適合者』の集まりなんでしょうね。(笑)

 

 

「いい人」って、支配・コントロールしたい人達にとって都合のいい人です。

これまでに、いろんなボランティアに参加してきましたがそう言うことだったんですね。(汗)


 

支配・コントロールしたい人達から見た今の僕は、多分これですね!(爆)

 

 

“組織”って入れ物に、“個人”を放り込むのか?

“個人”が集まって、“チーム”をつくるのか?

あなたはどっちを選びますか?

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

 

 支配・コントロールしたい人達は、これを破壊しています。

他人の尊重も大切ですが、自分の尊重も大切です!