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「崇拝する」
この思考を取っ払うだけで、全てが変わることでしょう。
今日の疑問: 「崇拝」とは?
「崇拝」とは世界中の多くの人が意識的にまたは、知らぬ間に行っていることです。
これは、全てのピラミッド組織の中で深く・深く・深く、浸透しています。
なのに、自覚症状のない“思考停止状態”の人も多数いることでしょう。
ピラミッド組織以外でも、自ら「特別な存在」だとコントロールしようとする人・言い張る人・つくり出す人、それを“崇める人”がいます。
つまり、「崇拝」とは、「洗脳」です!!
Wikipediaで「崇拝」と検索すると、「信仰」に転送されます。
一般には“特別な存在”を“尊敬すること・崇めること”と解釈されています。
また、宗教においては思考・言葉・儀式?行事?などで,神聖かつ絶対的なものとして扱われています。
あなたの今までを、ちょっくら振り返ってみて下さい。
もう耳タコかもしれませんが、子供の頃から、親をはじめとした大人たちにより、洗脳が始まっています。
年齢を重ねるたびに、学校・会社だけではなく、いろんなピラミッド組織に属すようになります。
家では“親”
学校では“先生や先輩”
会社では“上司・先輩”
社会では“政治家や役所・官僚”
更には、〇〇を含む支配者層の皆さん
この中で「特別な存在?」というものを、“所属するピラミッド組織毎”に刷り込まれ、いろんな場所での洗脳がブレンドされ、“本来の自分”をちょっとずつ忘れさせていきます。
洗脳される大きな理由として、「崇拝」と「尊敬」の勘違いにあります。
「崇拝」=「信仰」には、“尊敬”より“崇める”の色が、強く深くあります。
なぜなら特別な存在がいて、階級や肩書、順位付けがあるからです。
その中で忖度することを身に着け、効率的・生産性ということを学びます。
いや、学んでいるというより、教え込まれ洗脳されていくのです。
所属する組織での数多くのルールに支配され、「それがそこでの当たり前」となり、「個人」という最も大切な存在が、コントロールされ、蔑ろにされます。
つまり学校も会社も政治家・官僚も、ほぼ宗教です。
国も世界も含めピラミッド組織は全て、ほぼ宗教です。
人が多くなり組織が大きくなればなるほど、「権力」なるものが大きくなります。
だけど、誰にもないはずの「権力」は、“多くの崇拝する人達”によってつくられています。
この事実を忘れないで下さい。
崇拝しなければ、そのような特別な存在?らしき人達が、存在し続けることはありません。
僕の家も御多分に漏れず仏教徒です。
と言っても、それがどういう意味かすら分かっていなければ、覚えようとも思いません。
なぜなら僕には全く関係ないからです。
今は僕だけでなく、家族の間でも概ね同じ認識になっています。
多くのこと・多くのものがコントロールするためのツールに過ぎないことを知り、行動が変化しています。
日本にも・世界にも・宇宙にも、「崇拝」する存在など、全くいません。
永遠にいません。(笑)
ただし、全ての存在を尊敬・尊重したいと思っています。
「したいと思う。」と言ったのは、出来ていないからであり、必要ない存在もいると思うからです。
それは、支配・コントロールしようとする存在です。
ただし、いかなる存在とも争い対立しようとは全く思いません。
嫌なら、違和感を感じるなら、どうしても合わないのなら、スルーし、棲み分ければいいのです。
“棲み分ける”ってことも、ひとつの「尊重」です。
関わることなく、無関心でいればいいのです。
「尊敬・尊重」と「崇拝」は全く違います。
「崇拝」にも「尊敬」の意味合いはありますが、それは“特別な存在”に対し、“崇めること”です。
「祈ること」・「願うこと」どちらも 必要ありません。
お布施も何かを買うことも必要ありません。
誰かに“すがる”ことも必要ありません。
誰かを“崇める”ことも必要ありません。
確かなことは、自分の思考で、現実は創られているということです。
あなたは何を思い何を創造しますか?
長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
過去記事も、よかったらご覧下さい。
何かを叶えてくれるのは「自分の思考」であり、「自分のAction」のみです!!
「あがめる」とは、組織の中で言うとこの「忠誠心」です。
マインドを止めて「感覚」だけを信じてみてはいかがでしょうか?