ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

自分の現実は 全て自分が創っている

ご訪問いただきありがとうございます。

 

ピラミッドを離れてから毎日、自分のことは自分が決めています。

全て自分で決めています。

「なにを当たり前のこと言ってんの?」と思う人もいるかもしれません。

そうです。

当たり前のことです。

当たり前のことなんです。

この当たり前のことどれほどの人にとって当たり前なのでしょうか?

「全て自分が決めている。」と錯覚している人も数多くいるのではないでしょうか?

なぜなら、圧倒的多数の人がピラミッドの中で生きているから。

複数のピラミッド掛け持ちで生きているから。

 

 

自分の現実は 全て自分が創っている

 

「思考が先、現実はあと。」

全てはこれで片付いてしまいます。

全てです。

例えば、料理を考えるのが思考

調理が工程(行動)

出来上がりが現実。

つまり、自分が思考しなければ何も始まりません。

しかし、今の社会はどうでしょう?

社会というピラミッドの中で、常に誰かの言いなりではないでしょうか?

自分ひとりで決められることがあるでしょうか?

残念ながら、ピラミッドの中にはありません。

 

人任せは、他人の思考で行動することです。

「命令で動く」ということであり

「命令がないと動けない」ということです。


 

また、現代は無数の情報が溢れかえっています。

その溢れかえった情報の中から、その時の自分に相応しい情報を選択しています。

しかし、手にする情報の大枠は予め自分が決めています。

具体的な一例を出すなら、既に2年半以上過ぎた騒動について。

僕のように最初から「おかしい」という人もいれば

最初から今も「危ない」という人もいます。

この相反する思考を持った人が同じ情報を選択するはずがないのです。

なぜなら、思考が真逆だから。

それぞれが、その時の自分の思考に相応しい情報に目が向くのです。

要するに「思考が先、現実はあと。」

しかし、このことを理解している人がどれくらいいるのでしょうか?

多分、ごく僅かだと思います。

なぜなら、自分より、”他人や”みんな”を優先している人が圧倒的多数だからです。

なぜわかるか?

そりゃ~外出りゃわかります。

電車乗ればわかります。

お店入ればわかります。

何気ない日常生活を送っているだけでわかります。

見たくなくても視界に入り

知りたくなくても目や耳に入ります。

「おかしい」と思う人は、「おかしい」と思う裏付けのような情報に目が向きます。

また「危ない」と思う人は、「危ない」と思う裏付けのような情報に目が向きます。

個人個人に違いがあるのは当たり前なのですが

このように思考が真逆になると一緒に居ること自体、お互い結構なストレスになると思うんです。

たとえ、家族やパートナーであっても。

 

親も他人です。

自分以外は全て他人なのです。

それぞれが個人として完成され、且つ独立しているのです。

 

 

現に、騒動に対しての家族との解釈の違いが原因で、同居別居になっている人が居ます。

聞けば、元々方向性の違いを知っていて見てみぬふりしてたとか?

けど、お金や世間の目を考えれば・・・とか

また、先生の対応・同級生からのいじめなどが原因で中学校を辞めた子もいます。

一番は、圧倒的に先生達の対応

ちなみに、いじめの要因はアレをしていないことと、この子だけそれを許されていたこと。

これとは別に、小学校を辞めたというお子さんのお母さんの話も最近聞きました。

中学校を辞めた子については”大人達への失望 僕は中学校へ通うのをやめた”

というタイトルの本を出版していて僕も読みました。

世の中の大人に失望したのは確かなようですが、全ての大人ではないってことを彼は知っています。

また、本のタイトルと違って希望に満ち溢れている印象です。

このように学校を辞めたという子と、その親に共通しているのは

「辞めてよかった。後悔はありません。」ということです。

親の影響もあるでしょうが、決めた本人の言葉です。

不登校も増えているとは聞きますが、「辞める」というのは極々少数だと思います。

しかし、中学を辞めた子は 他に予備軍(辞めたい子)が居ると言っています。

この子たちが辞めれないのは、大人達が辞めさせないのでは?と個人的には思っています。

 

これまで何度も、「子供は大人に絶対服従と述べてきましたが

全ての子供に該当するわけではないということです。

子供だって自分で決められるということです。

このようにレアケースな話をすると、聞いてもいないのに出来ない理由を力説しだす人が居ます。

「子供だから仕方ない。親は選べない。生まれた環境は選べない。」などと・・・

けどさ、子供は両親を選んで生まれてくるんですよ。

「この父親とこの母親の子供として生まれてくる。」って決めて生まれてくるんです。

まさに、「思考が先、現実はあと。」なのです。

「ゆるむの野郎、スピ系みたいなわけのわからないこと言い出した。」と思われたかもしれませんが

これが僕の中の真実(情報)です。

さっき言った、「出来ない理由の力説」

こういった思考の人ってすっごく多いと思います。

それこそ、会社というピラミッドの中にもとても多く居たのを覚えています。

今になればとても納得です。

ピラミッドの中に居続けていてセルフイメージがずたずた。

自分で考えず、指示を待つ待機労働者なのですから無理もありません。

僕自身は反対の思考!?で自爆していました。

「何とかしなきゃ。どうしたらいいのか?」

必死で苦痛でした。

言い訳したくないだけだったのです。

「出来ない」って言いたくなくて、「なんとかしなきゃ。」と思うタイプでした。

自分で自分のハートを擦り減らし、ハートがズタボロでした。

しかし、今は言えます。

「出来ません。」「おかしいです。」って・・・

 

国というピラミッド組織に所属していることになっているけど

主権者はあなたですから!

あなたという個人ですから!!

 

 

真逆の思考の人同士が共感することはありません。

話し合えるイメージが湧かない時点でおしまいです。

「あなたはそう思うんですね。」と言っておしまいです。

話し合ったところで、どちらかが「あなたの考えはおかしい」と言い出した瞬間

争いになるので、いつも言っているとおり同じ土俵には立ちません。

そもそも話し合いは、互いに尊重があって出来るものですから。

どちらか一方が、相手に対し敬意を欠いた時点で争いしか生まれません。

ならば、住み分けるのが最適だと思います。

 

住み分けると言えば、来年の夏までに引っ越すことを決めました。

今の騒動が始まってから考えたのではなく、4,5年前から考えていたことです。

今の場所にこれと言って不満は無いのですが、別なところが好きになったんです。

やっぱり人が少ない場所が好きなんです。

それと、その土地の空気感です。

この空気感、めちゃめちゃ大切です。

なんたって、自分との相性ですから。

 

結果、引っ越しを考えて最初に行った場所に決めました。

というか、リピートし続けているのがココしかありません。

思い浮かんだ場所には行ってみたのですが

何年経っても、何度も行って、やっぱこの辺がいいって思ったんです。

と言っても、暮らしたことはありません。

何かがあるわけでもありません。

けど決めました。

ここでのん氣な日常を過ごそうと思いました。

 

ココとは全く違うタイプの秘密の基地!?増えました。(笑)


 

これといって具体的なものはありません。

しかし、決めたことで何かが動き出しているのを感じます。

2年前にも考えたのですが、その時とは全く違います。

その時は、頭だけで考えていてイメージが湧きませんでした。

しかし、今回はゆる~い直感で決めました。

それもある日突然。

パートナーには相談せず、ひとりで決めました。

一瞬で決めました。

予定は先でも、「決めるのは”今”この瞬間!」だったのです。

パートナーには事後報告で、最初驚いたというか、急に言われてもという感じでした。

しかし、今は方向性が決まり、ゆっくりですが動き始めました。

いろいろ整理すること・必要なことが少しづつ見えてきました。

これからの日常

これからの現実も自分が創ります。

誰かと一緒の部分は、一緒に行動する人と共に👍

 

今、静かにワクワクしています。(笑)

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。