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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問: ”毅然“とするには?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

いつも言われ放題の後輩に僕はこう言っていました。

「毅然としていればいいんだよ」

どう解釈したのかわかりませんが、いつもオロオロするばかりでした。(苦笑)

 

 

今日の疑問: ”毅然“とするには?

 

「毅然とする」この表現にどんな印象をお持ちですか?

妥協しないこと!?

譲らないこと!?

スタンスを崩さないこと!?

動じない!?ぶれないこと!?

概ね、こうのような印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか?

なぜなら、そのように教えられているからです。

 

 

しかし、僕はこう思います。

「毅然とする」とは、フラットな状態・自然体でいること。

その為には心身の脱力が習慣化されること。

 

 

そもそも、「自然体」というものがどういった状態なのかを多くの人は知らないと思います。

なぜなら、自然体で居れないような社会構造だからです。

仕事をしていた時、週末を迎えると上司がこんな風に声がけしていました。

「ゆっくり休んで下さい。」な~んて

僕はこの言葉をこんな風に解釈していました。

「どうせ、(来週の)仕事の為でしょ。」

「休まれると困るというか、全体にしわ寄せがくるからでしょ!?」

仮に気遣っていたとしても、ほとんどの場合『仕事の為』なんですよ。

『組織の為』なんです。

それが『自分の為』だと思っているのです。

「自分の為」それは自然なことだと思います。

ただし、自分より仕事や組織が優先されていることには違和感しかありません。

 


今年のGWは10連休と騒がれていましたが、実際、どんな感じだったでしょうか?

10連休満喫できたでしょうか?

また、10日間自然体で過ごせたでしょうか?

「休んだのは確かだけど・・・」だったりしませんか?

会社員時代、休み明け会社に行くと、楽しかった記憶も遥か昔のことのように感じていました。

 

 ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に揺られながら、長年こんな事考えていました。


 

ここ数年・ず~~~っと仕事をしないことで分かったことがあるんです。

それは、たかだか10日休んだところで「自然体・リラックス」なんてものを理解出来ないことを。

楽しかったことも、仕事に出れば遠い昔のことのようになります。

休んでいたこと自体、記憶が薄れてしまいます。

何日休もうが、仕事をしていると元の環境(仕事中心)に戻るんです。

「休んだ」という事実は残りますが、思考を変えないことには状況は変わりません。

変わらないどころか、組織にとって都合よく変えられてしまいます。

のんびり出来ないように。

のんびりさせないように。

会社だけでなく、“社会”という組織がそのような仕組みをつくり、コントロールしているんですよ。

「考え方を変えた。行動を変えた。」と言っても、それは“組織中で生き抜く術”を変えたに過ぎません。

 

 「セカセカ」もありますが、「のんびり」もあります。


 

「“毅然とする”には、フラットな状態。自然体で居ること。」と先程述べましたが

現在の社会構造を見ると、そうさせないように仕向けられていることがわかるのではないでしょうか?

「毅然とする」の意味が、先程述べた

妥協しないこと。

譲らないこと。

スタンスを崩さないこと。

動じない。ぶれないこと。

という解釈だったとしたら、それは対立です。

意地になっています。

喧嘩腰です。

争おうとしています。

 

 

このような言葉における印象操作・ミスリードが習慣化されています。

何かするにしても、いつもセカセカし、またセカセカさせながら相互監視をしています。

仕事が早く終わっても、次の仕事。

挙句の果てには自分で仕事を見つけろだとか、仕事をつくれ!なんて始末だったりします。

職場によっては勤務時間の解釈も違います。

「仕事の準備は勤務時間外」という前提で勤務時間の20~30分前に来ることが暗黙の了解とか・・・

同じく後片付けも勤務時間外とか・・・

こんな環境の中に居続けたら、そりゃ~思考停止しますよ。

慣れたんじゃなく、麻痺しているだけですよ。

 

 慣れることと麻痺することは、全く違います。


 

自然体で居れば、自分が本当に望む判断・選択・決断が出来ます。

自分がどう感じているのか?どうしたいのかがわかります。

もし、相手に非難された場合であっても、「違います。」と言えます。

「自分はこのように理解していました。」と意思を伝えられます。

その先も、全部自分が決めればいいのです。

これが毅然とするってことだと僕は思います。

だから普段から脱力し、習慣化しています。(笑)

 

3年前こんな風に感じていました。

 

「脱力」僕にとっては人生最大の発見であり、一番大切な習慣です。


 

誰かに委ねるのか?

自分で決めるのか?

それを決めるのも自分自身です。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

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