ご訪問いただきありがとうございます。
氣まぐれフリートーク;GW期間中、何度も耳にした“人身事故”のアナウンスを聞いて感じたこと
勤め始めた頃、“人身事故”と言われてもすぐに状況を思い浮かべることが出来ませんでした。
ましてや、自らなんて・・・
社会人になるまでは、「話では聞いたことがある!?」程度でした。
ところが、社会人になり、たまにとは言え、このようなことが起きていることを知りました。
更に、首都圏では日常的に“人身事故”が起きていて、増加傾向にあるような話も耳にしました。
実際、“人身事故の為電車が遅れています。”
こんなアナウンスを耳にすることがさほど珍しくなくなっています。
また、ニュースサイトで知ることもあります。
ニュースでは(マスコミは)、「こんなことがありました。」程度のことしか書かれていません。
たまたま子供の日に“人身事故”のアナウンスを2度聞いたことで、今、こんな風に思っているのでしょう。
人が多い=いろんなエネルギーが渦巻いているということです。
違和感感じることは、むしろ自然なことです。
鉄道会社も注意喚起を行ったり、「ホームドア設置」という対策を講じているのは知っています。
何か起きたら、ルールや法律をつくり、安全確保を目指します。
何か起きたら、“モノ”によって対処します。
しかし、根幹に関わる部分にフォーカスされることがありません。
これでは、何の解決にもなりません。
いえ、そもそも解決するつもりなど毛頭ないのです。
どんなルールや法律を考えようとも、どんな対処をしようとも“絶対防げる”ということは言い切れません。
100%“ゼロ”にはならないことは概ね想像出来ると思います。
それでも、ルールや法律がつくられ、その為に必要なことが生まれます。
この“その為に必要なこと”を行う企業が利権を受ける、もしくは損失を受けるような構造になっています。
利権を受ける側が、権力者のお友達で、損失を受ける側が意地悪されているというシンプルな構図です。
権力者は、僕ら一般大衆に向けて「改善の為の新たなルールを設けました。」というポーズを見せ、自分たちにとって都合のいいルールや法律をつくり、僕ら一般大衆をコントロールしようとします。
つまり、ルールや法律を変えようが、何かを作ろうが、全く解決にはつながらないのです。
偶発的な事故を減らすことは可能かもしれません。
しかし、根本的な原因?要因?には全く目が向けられていません。
恐怖心を掻き立てるプロパガンダです。
「行政は正しい」という印象操作による大衆誘導が目的です。
“人身事故”を本気で減らそうと思うなら、ルールや物質的なものよりはるかに重要なことがあります。
それは、ひとりひとりがご機嫌さんで居ることです。
その為には我慢が要らない社会環境・ゆとりを感じられる社会環境が必要です。
誰もが尊重し合い認め合う社会習慣が必要です。
だからこそ、権力者はこのようなことに目を向けないのです。
だからこそ、権力者は一般大衆にどうでもいいことを見せるためマスコミを使っています。
あの手この手で不安やストレスを与え続け、我慢させ続けようとするのです。
我慢せず、ストレスも感じずゆとりを持たれるなんて「もってのほか!」と思っています。
尊重などどうでもよく、上下関係やピラミッド型組織を利用し、支配・コントロールしたいのです。
「社会」というピラミッド型組織は権力者によってつくられ、都合よくカタチを変えています。
人身事故に限らず、自ら命を絶つ人も、ハートが疲弊している人も、何かに困っている人・迷っている人も、ピラミッド型の「社会」という概念から抜け出すこと必要です。
これまでの社会という概念に意識を向けないこと。手放すことです。
誰かがつくった社会にはめ込まれるのではなく、自分が創造する世界をつくることです。
もともと、人が集まったからといって集団(組織)ではないのです。
そもそも個人として独立しているのです。
その個人が上下に繋がるのか、横に繋がるのかの違いです。
横に繋がって輪になる。
まさに、△→〇です。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
3年近く前の記事ですが是非ご覧下さい。(これが権力者の思考です。)
全て重要ですが、特に第1条は憲法のありかたそのものに関わるとても重要なことです。
新設の98・99条は、全ての個人の何もかもを奪うものです。
誰もが唯一無二の存在です。