ご訪問いただきありがとうございます。
勘違いかもしれませんが、時々「背中を押して欲しいの?」と思うメッセージを受け取ることがあります。
しかし、僕はそれをする氣がありません。
なぜなら、本人が決断する機会を奪ってしまうからです。
面と向かって聞いてきたなら別ですが、介入しないことが僕なりのエールです。
今日の疑問: 「励ます」「励まし合う」とは?
「励ます」一般的な解釈では
・元気づける。
・奮い立たせる。
・激励する。
・エールを送る。
こんなところでしょうか?
「励ます」更には「励まし合う」
この言葉・表現を小学生の時の教わった覚えがあります。
「がんばれ~!」って声かけることが良いことのように
声かける人が良い人のように
けど、先生の振る舞いを見て違和感を覚えていました。
算数は全員正解じゃなきゃいけないの?
逆上がりも全員が出来なきゃいけないの?
時々ではありますが、先生は出来ない子に対しイライラしています。
ついさっきまで応援していたのに、いつの間にか怒っています。
「ああしなさい。こうしなさい。」と、アドバイス?命令?をしています。
中学・高校と進む過程で、教師と生徒の間だけでなく、生徒同士でも同じようなことが起きています。
僕の中の違和感は不信へと変わりました。
社会人になってからも同じようなことが時々あります。
いつしか、この言葉・表現そのものが印象操作しているんだと思うようになりました。
「良い・悪い」という概念を持ち続けている多くの人にとって「良い言葉」です。
前向き・ポジティブな印象を与えます。
「“やさしい”・“思いやりのある”・“一緒に何かを目指す(諦めない)”→素晴らしい・人間性が高い。」みたいな?
「励ます」「励まし合う」とは
誰か(自分も含む)を追い込み、窮屈にし、プレッシャー・ストレスを与えること。
命令・介入・干渉すること。
これらをお互いにすること。
もちろん、全てではありません。
ただし、このような風潮がいろんな集団・組織の中で起きています。
まるで、チキンレース!?デスマッチ!?バトルロワイアル!?のように・・・
「励ます」「励まし合う」ことは、多くの場合、相互監視し合いながら拘束し合うことのように感じます。
これらは、集団・組織の中で起こりえる事象です。
何かをさせるために使われる言葉です。
特に仕事の中では、ごく自然に、さも当たり前のように使われます。
「みんなで」という枠でくくられ、Noが言えないよう誘導されます。
しかも、さほど好きでもない仕事を・・・
同じ籠の中で、仲間意識を植え付けられます。
助け合いながら・寄り添いながらといいながら、そこにしがみつき、もたれ合い、コントロールされ続けます。
それを知ってか知らずか、そこに居続けるために励まし合います。
無意識のうちに、抜け駆けしないようけん制し合います。
誰かが、抜け出さないように
互いに抜け出さないように
励まし合って何かをしているうちに、気付けばいつも籠の中の鳥。
この状況に、疑問を感じつつ諦め、また思い出しては諦めの繰り返し。
会社員時代の僕は、こんな感じだったと思います。
「安定」という幻想に執着していた時期が長くありました。
何かに執着することってリスクです。
執着すると、物事を俯瞰で見ることが出来なくなります。
「嫌いじゃないけど好きでもない仕事をやり続けるのは嫌だ!」
「生活の為の仕事たくない。」
そう思って、僕は長年勤めた仕事を辞めました。
ノープランで辞めたこともあり、何言ってんだコイツ。
お前に何ができる?と問いただされたこともありました。
反対に励ます人もいました。
多くの無関心の人もいました。
背中を押して欲しいなんて思うこともありません。
相談する時があるなら、真正面から相談し自分で決めます。(笑)
あくまでこれは、僕の考え方・価値観です。
嫌で仕事をしていても、それ以上に大切なもののために仕事をしているなら、それもひとつの価値観です。
自分の考え方・価値観が自分スタイルを創ります。
「励ます」というなら、その相手は誰かではなく自分自身です。
自分に必要なことは自立です。
迷ったら、自分の口でアドバイスを求めることだと思います。
それ以外、他人への介入も干渉も、その反対も不要です。
エールすら不要です。
「自分のことは自分で決める。」
こんなありきたりなことを個人個人が意思を持って行えば、きっと新たなタイムラインを創造することでしょう。
「タイムライン」とは、 次の今、その次の今を創造することです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。