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今日の疑問:“クレーマー”や“モンスター”はどうして生まれる?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

会社勤めの時、所属先のほとんどが営業部門だったせいか「クレーム」って言葉頻繁に耳にしていました。

日常生活の中でも「クレーマー(クレーム)」は存在し、“モンスター”と化す場合もあります。

どうしてこうなっちゃうのか考えてみましょう。

 

 

今日の疑問:“クレーマー”や“モンスター”はどうして生まれる

 

自分が仕事上で受けたクレームって、あまりなかったと思います。

今でも明確に覚えているのは、転勤して間もなく電話応対でキレられたことです。

近くにいた先輩が「誰?」って聞いてきたので相手を知らせたら「変わって!」と一言。

電話では先輩が逆ギレっぽい感じはありましたが毅然と受け答えしていたように思います。

電話が終わった後、「いつも無理難題ばっか言ってくる面倒な人」だそうで、最後に名前を確認され、「二度と俺の電話に出るな。」そう言われたそうです。(苦笑)

会社の中で毅然とした対応をしている人をあまり見てこなかったので、感謝と共に、今も覚えています。

それはそれとして、お客様より、むしろ社内で「クレームだ~」って騒がれる印象が強く残っています。

 

クレームって、相手があって生まれるものです。

クレーマーやモンスターも、そういった人に対応する人も、それぞれに要因はあるわけですよね!?

どっちがどうとは一概に言えませんが、相手に関わらずひとつだけ出来ることがあると思います。

それは

受け手(対処する側)が毅然と対応することです。

毅然とした振る舞いで説明することです。

出来ること・出来ないことを明確にすることです。

相手がだれであったとしても、ひるまないこと。へりくだり過ぎないこと。

もちろん、威嚇しろということではありません。(苦笑)

そもそも対等なんですから。

 

 

相手や状況によっちゃ、難しいことがあるのもよ~くわかります。

腰が引けちゃうのもわかります。

真剣に謝り過ぎて、話が大きくなっていることがあるのもわかります。

会話が出来ない相手が存在することもわかります。

かといって、相手の要望をはいはい受け入れ例外をつくると、今ばかりでなく、この先も面倒になります。

「あの時、こうだった。あの人はこうしてくれた。」など・・・

 

そもそも、お客様といっても対等だと思うんですよね。

販売もサービス提供も、話を聞く聞かないも含め、全てお客様判断なわけですから。

欲しかったら買う。嫌ならスルーする。これだけのことです。

提供する側は、判断材料を伝えて判断してもらうだけです。

思ってもいないセールストークも不要です。

相手は、情報(話)の他にも、対面している人のキャラクターを見て、さらにエネルギーを感じています。

意識しているか否かは別にして、お互いエネルギーで対話しています。

 

そもそもへりくだり過ぎる理由ってなんですかね?

それは提供する側の人が気に入っていないモノだからです。

自分が気に入っていないものって相手に伝わります。

関心がないモノを人に勧めようとするから見抜かれるんですよ。

“やましさ”のエネルギーが伝わるんですよ。

緊張する姿(声)やおどおどする感じが、余計に癇に障るんですよ。

 

けどね、こうなるのも無理ないなって思うんですね。

だってさ、生きてきた期間ず~~~っと大人たちやマスコミ・ネットで不安や恐怖を刷り込まれてきているし、ピラミッド型の社会に身を置いているからね。

今の僕のように、組織に属さなくとも、市民であり・県民であり・国民ですから。(苦笑)

社会の一員!?として、あれ払え、これ払え、それ払え!って言われるわけです。(苦笑)

 

常に比較・常に競争、そして良し悪しの判断・自分に関係のない他人の評論。

無いものは個人の尊重です。

個人の人権です。

忘れているのは“自尊心。”

組織の中での肩書など、(個人的主観ですが)無くてもいいものばかりつくられ、組織の中でも、組織の外でも都合よく利用されています。

クレーマーの中でも二言目には「責任者(上司・店長)だせ!」な~んてなることもあります。

これもピラミッド型組織が生み出した弊害!?のようなものですね。

挙句の果てに“対策”ってヤツが必要になるわけです。

新たなルールがつくられ手間も増え、ただでさえ嫌な仕事!?が益々嫌になるわけです。

このルールは「みんなの為」とか、「お客様の為」と言いながら、組織をコントロールするごく一部の人の為に、ごく一部の人によって決定されます。

その組織に居る限りエンドレスで続きます。

 

 

また、クレーマー・モンスターと表現される人にも要因はあります。

そもそもゆとりが無いのです。

生きてることに・日常生活に・・・

だから落ち着いて会話が出来ず、キレちゃうわけですよね?

家でのモヤモヤ

仕事でのモヤモヤ

個人的モヤモヤ

モヤモヤはエネルギーを奪います。

その不足分を、誰かから奪うためにキレるんですね。

発散すると同時に相手のエネルギーを奪います。

やられた方も、自分でエネルギーチャージしない限り、誰かから不足分を奪い取ろうとします。

他人からエネルギーを奪えない人は、自分のエネルギーを更に枯渇させ、自爆に向かいます。

 

「強者と弱者」を生み出し、それが組織的になるとピラミッド型になります。

だからいじめも無くなりません。

これがピラミッド社会です。

尊重し合えれば、介入しなければ、棲み分けられるのにそれをしない・させない。

いつも良し悪し。

常に良し悪し。

悪を“必要悪”とし、絶やすことをしません。

だから対立はなくなりません。

 

ふと思い出したのですが、会社勤めの最後の職場に全くタイプの違う若手社員がいました。

ひとりは、出来るのに”自信なさげくん”

もうひとりは、全てに第三者のチェックが必要な”もじもじくん”です。

2人とも、社内でも社外に対しても自信なさげで、いつも言いなりでした。

だから、いつもしんどくなっていました。

2人には、「毅然としていればいいんだよ。」「毅然とさえしていればいいんだよ。」

随分言ったと思います。(苦笑)

けど、これは今の自分・これからの自分にとっても、大事なことだと思っています。

 

自尊心をもって毅然と生きましょう。(笑)

どうしても周波数が合わなかったら、棲み分けましょう。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

誰の為のものなのか?何のためのものなのか?を考えること大切だと思います。


 

法律やルールの変更や追加、常識や倫理観などの書き換えは常に行われています。


 

「毅然とする」ってこんな感じですかね。