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“劣等感の塊”みたいな時期もありました。
余計なもの、勝手に持ち込んでためていました。
今日の疑問: “劣等感”とは?
“劣等感”は、比較が生み出すものです。
劣等感が溢れると、自分を保てなくなり“不安”という感情にかられます。
ですが、「比較」をやめると“可能性”しかありません。(笑)
つまり、“劣等感”は不要です。
もしあったなら、とっとと手放しましょう!
劣等感は、自分がを生み出しているという認識が必要です。
僕にとっての初めての劣等感を感じるキッカケになったのは、中1の時です。
担任でも部活の顧問でもない、兄の担任だった?先生の言葉です。
「お兄さんと違って君は大したことないね~。」
「それでも、ここのクラス委員長か?」
クラス中に響き渡ったこの言葉があまりに衝撃的でした。
親にも言われないことを、初対面のじ〇いに言われ、カチンとも来ましたが、それ以上に凹みました。
おまけに本物の自分のじ〇いにも言われるようになり、じ〇いが大嫌いになりました。(苦笑)
気付いたら、周囲全体が比較し合い、消えかかっていた劣等感が根付いていきました。
また、早く独立するため・希望の会社に高卒で就職したはずなのに、就職した頃からにず~~~っと、高卒であることに劣等感を感じていました。
つい5,6年前?でさえ大学受験を考えることありました。
会社に勤めている間も、時々なのか、しょっちゅうなのか、ず~~~っとなのか、劣等感がありました。
それは常に、自分が生み出したものでした。
しかし、ここ何年かで、周囲の目・反応が気にならなくなり、“劣等感”ってものがほとんどなくなりました。
まずは、考え方を変えました。
人と比べない。
過去の自分と比べない。
出来ないことがあった時は、「今、必要なのか?」・「今、やりたいことか?」と自分に問いかけました。
“Yes”なら、まずやってみる。やってみて出来なかった時は、それでもやりたいかどうかを決める。
また、“No”なら「今の自分に必要ないもの」と解釈しました。
要するに、出来たことだけ足していく“足し算のみ”という考え方です。
この思考が習慣化する中で、今やっていること・関わっていること・もっているものについても、自然と「今、必要なのか?」「今、やりたいことか?」という視点で考えるようになりました。
また、今までの考え方や解釈・いろんな持ち物・保険関連を手放しました。
一番大きいもの?では、「仕事」も辞めました。(爆)
繰り返しになりますが、比較により“劣等感”が生まれ、その劣等感が不安や恐れを連れてきます。
不安や恐れにより、「依存」を生み出します。
「備えあれば患いなし」という概念が生まれ、そして根付き、離れられなくなります。
だから“神頼み”なのでしょう。
だから“先生”と呼ばれる存在にお願いするのでしょう。
だから“保険”なのでしょう。
上記に関わる人たちは、“劣等感“を感じている人を前に、”優越感“にあふれていることでしょう。
最終的に、お金を「払う人」と「もらう人」に分かれますが、それはただの搾取です。
比較→劣等感→不安・恐れ・ストレス→依存(お金)
わざわざ望まないことをたくさん考え、実現させようとしているのです。
そのことにすら、気付かなくなっているのです。
ですが、比較をやめ・劣等感を手放し・不安がなくなったことで「可能性」だけが残りました。(笑)
もしも、劣等感を感じることがあったら、その感情・そっとポイしましょう。
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出来ました。出来ました。出来ました。
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過去記事も、よかったらご覧下さい。
劣等感→不安・恐怖・ストレス→依存=「いざとなれば」
恐育・偽療の”利権”に関わる「先生」は“優越感”いっぱいかもしれません。
”利権”には、政治家・官僚・弁護士等の「先生」も関わっています。
更に、役所(自治体)も加担しています。