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何かが出来た時、報告やお礼として「おかげさまで」という場面があります。
しかし、何かを忘れていることってありませんか?
今日の疑問:「おかげさまで・・・」という言葉の陰に忘れられているのは?
「おかげさまで・・・」
僕も時々使います。
ずっと前から使います。
けど、以前とは違う思い?解釈?で使っています。
また、自分が誰かに「おかげさまで」と言われた時、あきらかな違いを感じました。
Aさんにちょっとかしこまって「おかげさまで解決しました。」って言われたことがあったんです。
続けて
「あの時ゆるむ@さんがアドバイスくれたから出来たんです。自分だけじゃ出来ませんでした。」みたいな話。
僕は「?」
「アドバイスなんてしました?」と聞き返しました。
すると持ち上げられるような返答をされました。(苦笑)
僕は、Aさんを見て昔の自分がこんな感じだったことを思いました。
「出来たことは誰かのおかげ」
「出来ないことは自分のせい」
「なんかこんな風だったな~」って思ったんです。
セルフイメージが低く、他人の目を気にしている昔の自分が目の前に居るようでした。(苦笑)
僕は「やったのはAさんだし、出来たのもAさんだよ。」
するとAさんは「でもホントにゆるむ@さんのおかげなんです。」
僕の目の前に、昔の自分がずっと座っているようなそんな感じです。(苦笑)
「おかげさまで・・・」の言葉の陰には自分自身が居るのです。
「おかげさま」は、他の誰かだけではなく、自分にも向けた言葉だと言いたいのです。
他の誰かからキッカケをもらったとか、ヒントをもらったとか言いますが
キッカケであれ、ヒントであれ、それを引き出したのは自分自身だということです。
実践し、実現したのは自分自身だということです。
だから「Aさんすごいじゃん!」って話なんです。
「Aさん自身のお・か・げ・」だということなんです。
いろいろ言いましたが、もちろん伝わっています。
Aさんの「ありがとう」という思い。(笑)
それと、微妙な距離感も感じます。(苦笑)
この“距離感”(考え方・受け取り方の違い)こそが、対等な関係ではなくなくしている氣がします。
過剰に相手を敬い過ぎるというか・・・
セルフイメージを落とし過ぎているというか・・・
ん~~~
何かをしてもらう!?ってことが特別なことになり過ぎている氣がします。
対等な関係が、上下関係みたいになるというか・・・
そうそう!宗教的なんですよ!
「出来たよ~」とか、「ありがとね~」とか、「サンキュー」で済むのに・・・
大袈裟に言えば崇拝されているみたいな感じ!?
困った時の「助けて」とは違う、「何かあったら頼めばいい」という“依存心”!?を感じるんです。
集団になると必ずと言っていい程、このようなやり取りを目にします。
理由はピラミッド型の組織だからです。
リーダーが居るからです。
一見、互いにリスペクトし合っているように見えますが、ホントの対等ではありません。
これぞ宗教的です。
ここ最近、世界中でこれまでになかった動きが目立ちます。
テレビや新聞など既存のマスコミが全く伝えない!?報道(情報)だと思います。
ネットも含め、既存のマスコミばかり見ている人には全く想像できないこと。
急に聞いても信じられないようなことがいくつも起きています。
だからこそ、自分自身の判断が大切です。
大きな組織・有名人が正しいことを伝えるとは思わないで下さい。
全てにおいて特別な存在をつくらないで下さい。
「この人が言うなら大丈夫」ではなく、自分の判断です。
自分に関係ないと思ったらスルー。
何よりも、自分の外側にある情報に惑わされず
自分の内側が楽しくなる「今」を自分自身で創りましょう。(笑)
最後に
「感謝」とは、「崇拝」することなんかじゃありませんから~!(笑)
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
特別な存在なんていない。
「何かをしてもらったらお返しをする」これこそが宗教的な考え方。
他人との違いは「個性」です。