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ここしばらく、本を読んでいて夢中になることありませんでした。
逆に、読むことに「集中しよう」と思うことありました。
そのうち、本を読まなくなりました。
ところが昨日、500ページ弱ある1冊の本を多少端折りながらですが読み終えました。
いつの間にか夢中でした。(笑)
今日の疑問:「夢中」と「集中」の決定的な違いとは?
子供の頃、サッカーの練習中、よく「集中しろ!」という声が飛んでいました。
試合中も、ここぞという場面だったり、得点後は「集中集中!」とチーム内で声を掛け合っていました。
学校での授業や勉強では、“集中”がとっても苦手でしたが、部活でのサッカーには“夢中”でした。(笑)
「夢中」とは、今やっていること以外の全てのことが意識にない状態です。
「集中」とは、今やっていることに意識を注ぐことです。
この二つの言葉、一見同じことを、言い回しを換えているだけと思うかもしれませんが、それは違います。
「夢中」は無意識に実現することです。
そして好きなこと・やりたいことをやっている時に湧き上がってくるエネルギーです。
「集中」は意識して実現させることです。
それほど好きでもないこと・やりたくないことをやるために必要な意識エネルギーです。
日付をまたいで、時間も氣にせず本を読み進める自分がいました。
氣に入ったから夢中で読んでいました。
夢中っていうのは、必死ということではありません。
むしろ反対です。
楽しんでいるんです。(笑)
「頑張ってるね。」
「一生懸命だね。」
「すごいね!」
はたまた、「自分には出来ないよ~」
こんな風に言われる人たちって、きっと頑張ってもいないし、一生懸命でもないでしょう。
すごいとも思ってもいなければ、「自分しか出来ない」なんてことを考えてもいないでしょう。
こんな風に見える人って、ただ好きだからやっています。
やりたいからやっています。
それ以上の理由はありません。
だから、人のことも気になりません。
「自分のことに夢中」な時、それ以外のことに興味が湧きません。
興味が向かないことに、エネルギーは流れません。
興味があることに、全てのエネルギーが注がれます。
しかし、「集中する」というのは、そのことにエネルギーを注ぐことです。
注がれるエネルギーは、まず、“集中しなければ”という意識的なエネルギーです。
何をしたいのか?の前に、“集中すること”自体にエネルギーが注がれます。
つまり、何かを始める前にエネルギーを使うのですから、そりゃ~疲れます。
まるで、仕事前の通勤でエネルギーを使い果たしているようなものです。
仕事をすることが目的ではなく、仕事場にたどり着くための通勤が目的にすり替わっているのと同じことです。
言い方を変えると、やりたくないことやるために、「集中」が必要だったり
“我慢・努力・一生懸命・頑張る”などと言う言葉が必要になるのではないですか?
やりたいことやるのに、どれも必要ありませんよね!?
「夢中」は“無条件”ですが、「集中」は“条件付き”です。
僕が「夢中になれるくらい好きなことは何?」と聞かれても、今、明確に答えることは出来ません。
けど、「やりたいこと」がある時は勝手に動き出します。
また、「やっぱこれ好きなんだな~」って思う時もあります。
やっていることに夢中になっている自分に気付くことあります。
こんな時って楽しいんです。
そして、訳もなく心地いいんですよね。
夢中はハート(心)で感じ、集中はマインド(頭)で考えます。
どちらが優れているとか、良いとかはありません。
ただ、集中は疲れるので個人的には、ほとんどしません。
まずは、ハートで感じたこと・やりたいことをやってみることですね。
もし、「やりたいことが見つからない・わからない」という人も、我慢していること妥協して居ることってありますよね!?それをやめてみることです。
こういったことを繰り返す中ことで、思考(周波数)が変わってきます。
自分が夢中になれることが段々見えてきます。(数えきれないくらい検証済です。笑)
ベタですが、「考えるより感じろ!」ってとこですかね。(笑)
感じたらAction・とにかくActionです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
「夢中になる」ってことは、ぶれないことであり、継続(リピート)することです。
その時聞こえた“ハートの声”スルーしないでね!