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「KY」なんて言葉もごく当たり前のように使われています。
俗に「KY」と言われる人・言われる時って、ホントに空気が読めていないのでしょうか?
今日の疑問: 「空気を読む」とは?
空気を読むことが大切なこと。
空気を読めるのは良いこと。
逆にそれが出来ない人はKYな人などと言われます。
しかし、“空気”ってそもそも読むものなのでしょうか?
僕には“吸うもの”であり、生きるのに必要なものにしか思えません。
「空気を読む」とはテレパシーです。
相手のエネルギー(波動)と交信し感じることです。
この感じ方も“その時々・人それぞれ”です。
テレパシーの交信が上手くいかないことがあります。
それはどうしてでしょうか?
お互いのエネルギー(波動)が違うからです。
エネルギーの周波数のようなものが違うからです。
自分の考え方のエネルギーが違う相手に対し、「KYだ!」などと言いだします。
互いの考え方が違うだけなのに、まるで鬼の首を取ったようなに指摘する人もいます。
しかし、無理に相手に合わせる必要はありません。
窮屈なら、我慢せず・周りも気にせず、そっと離れましょう。
「空気を読む=テレパシー」は、子供の頃から誰もが使っています。
例えば、赤ちゃんと親の場合。
親は、泣いている赤ちゃんのエネルギーを感じ取って対処しています。
時には勘違いもあります。
すると赤ちゃんは、更にエネルギーを送ります。
正確に認識されるまでエネルギーを送り続けます。
赤ちゃんも言葉を覚えると“言葉”というエネルギーで会話をするようになります。
しばらくすると、言葉を使わず、“雰囲気”というエネルギーだけで済まそうとする時があります。
この時に「空気が読める・読めない」の話になります。
時に、「伝えたいこと」って、言葉にしなきゃわからないことがあります。
また、相手の気持ち(意思)を「感じ取れない時」は、聞いてみないとわかりません。
なのに、確認せず気まずい感じになったり、勘違いから、言い争いが起き、対立に発展したりします。
“対立”は、同じ波動だから起きます。
「意見が違うんだから、波動は違うだろ!」と思うかもしれませんが、同じ土俵に乗っかっていることが、同じ波動だという何よりの証です。
また、上下関係が存在する場合(本来は存在しませんが・・・)
「空気を読む」ということが、“顔色をうかがう・忖度する”にカタチを変えます。
自分より、相手を優先するようになります。
また、「KY」という言葉が定着することで、更に自分を後回しにするよう・対立が起きるようになっています。
「KY」って言葉は、相手を見下したり、攻撃するような表現です。
それをジョークだとか、コミュニケーションだと言っても、言われた方は決してhappyではありません。
空気を読んでばっかりいる人って、よくモヤモヤしています。
周りの反応・他人の目を気にし、自分の感情をうやむやにしています。
言いたいことも言えず、勝手に疲れています。
これ、昔の僕です。(苦笑)
けど、自分がモヤモヤしていることが馬鹿らしく思うようになりました。
なぜなら、自分がこんな状態の時、相手は鼻歌でも歌いながらご機嫌さんかもしれない!?
そう思ったからです。
だから自分の意思を明確にし、シッカリ“言葉”で伝えることにしました。
曖昧にしていたことは確認するようにしました。
ちょっとだけ、勇気が必要なこともありました。
けど、モヤモヤもうやむやもなくなりました。
空気は読めていても、あえてスルーし、自分の思いを伝えることもあります。
また、その必要性を感じない場面もあります。
それは、テレパシーが上手く出来ている時と、波動が違うと判断した時です。
最初に言いましたが、空気は吸うものであって、読む必要はありません。
テレパシーは誰もが持っているツールです。
けど、波動(思考)が合わないこともあります。
そんな時も相手の個性(思考)を尊重しましょう。
相手を尊重することは大切ですが、崇拝や忖度は不要です。
むしろ、忘れがちな自尊心を意識してみてはどうでしょうか?
周りがどう言おうが、自分最優先で!(笑)
少し長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
この感情はテレパシーで送られています。(笑)
テレパシーで受け取っています。
僕にとっては、まんま自分で居ることです。