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有名なことわざで「石橋を叩いて渡る」ということわざがあります。
中高生になるとなぜか自慢げにこの言葉を使う同級生がいました。
社会人になっても時々耳にすることもありましたし、中には口癖になっている人もいました。
ちなみに、「石橋を叩いて渡る」の意味は「用心に用心を重ねて慎重にことを行う」です。
今日の疑問: 「石橋を叩いて渡る」の”石橋“ってなあに?
このことわざを知った瞬間から、僕には必要のない言葉だと思いました。
周りが「ここは石橋を叩いて渡るべき」と言ったかと思えば
「私は石橋を叩いて渡るタイプだから」という同級生もいました。
この傾向は社会人になって周りを見渡した時も感じました。
言葉にせずとも、なんとなく見ているとわかります。
僕は「イジイジしてめんどくせーな」って思うこと多々ありました。(苦笑)
「その石橋外してやろう~か~」なんてふざけていました。
そして「石橋を叩いて渡る」って言葉が出る人に対し、こんな印象を持っていました。
・慎重な人(時)
・ビビリの人
・チャレンジしない人
僕自身は、「この人はそうなんだ。」と思いつつ、自分にはやっぱ必要が無いと思っていました。
だから「石橋を叩いて壊すタイプだな~」とか言われたりしました。
けど、“石橋”ははじめから「存在しない」と思っているので「壊す」という概念すらありませんでした。
僕が感じる「石橋を叩いて渡る」の“石橋”はただの「幻想」です。
存在しないものです。
それは今も変わりません。
そして、僕と反対の解釈の方はこれらを求めているのではないでしょうか?
・失敗したくない。
・効率よくやりたい。
・みんなと同じがいい。ではなく、みんなと同じでいい。
・保証(担保・保険)が欲しい。
だから「石橋を叩いて渡る」なのではないでしょうか?
いつも言っていますが、どっちが良いってことではありません。
ここで述べているのは僕の考え方です。
自分が「これ!」って決めたものは自分にとって全て正解です。
そもそも失敗も成功もありません。
あるのは、出来たか出来ないかです。
そして、その判断をするのは他人ではなく自分です。
自分しか出来ません。
「続き」があるのかどうかを決めるのも自分です。
わざわざ“石橋”という障害物を置くから、不安が湧いてくるのではないでしょうか?
起きて欲しくないこと・嫌なことをイメージしているだけではないでしょうか?
まるで、「ひとりマッチポンプ」みたいなものです。
万が一火事になったらすぐ火を消せる準備をしておく。
地震対策に防犯グッズを揃えておく。
ケガや病気に備え、薬を常に準備し、生命保険に加入しておく。
まるで、そうなることを待っているようなものです。
そんなことを考えていると、そうなりますよ~
本気で考えれば本気で考えるほど実現しやすくなりますよ~
だって、思考は現実かするんですから。
心配ばかりしていても何もきっと望むことは起きません。
むしろ逆です。
いつも不満ばかり言う人は、今も・次の今もシッカリ不満を言い続けていました。
仮に自分の家にいろんなものを準備していたとしても、いつどこで何が起きるかはわかりません。
心配ばかりしていたら、家の外に出ることすら出来ません。
家の中に居たってケガをするかもしれないし、食べ物をのどに詰まらせることもあり得ますから。
だから初めから存在しない“石橋”という幻想は忘れちゃったらいんじゃないですかね?
わざわざ自分のハートの中に障害物を持ち込むことはありません。
心配と深刻は不要です。
まずは「楽」に生きましょう。
「楽」って楽しいってことじゃないですか。
これでいいと思います。
自分の中で「こうじゃない・出来なかった」ってなったらやり直すこともありだし、やめるもありです。
全ての答えは自分しか持っていません。
「心配」・「願い事」・「祈り」全て必要ありません。
なぜならこれらは「依存」に繋がっているからです。
自分が選んだものなら全て正解です。
自尊心を忘れず生きましょう。
長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
① 起きてもいないことで恐怖心を与え、誘導し依存させるといういつもの常套手段です。
② ①を計画通り進めるためにあらかじめアナウンスしておきます。
※先月は、やたらと大地震の予言の情報を目にしました。けど、スルーしました。
③願い事は依存です。
自分の今を創っているのは、誰かではなく自分自身(の思考)です。