ご訪問いただきありがとうございます。
何年か前まで、3月11日は自分にとっても特別な日でした。
けど、もう特別な日ではありません。
テレビをご覧になる方は、この日マスコミが何をどのように伝えるのかよーく見て下さい。
また、311の報道によって今必要な報道がなされているのか?隠蔽されるのか?
報道の在り方についても注目してみてはいかがでしょうか?
今日の疑問: “被災地”とは?
震災⁇から7年になります。
昔住んでいた仙台のまちだけでなく、立ち寄ったことのある多くの地域が震災⁇で多くの被害を受けました。
震災⁇という表現をしたのは、そうではないと思っているからです。
その日からずっと震災ではないと思っているからです。
延べ日数で言えば2か月程度いろんな現場でボランティア活動をしました。
マスコミが報道しない現実を目にしました。
しかし、数年前からやめました。
それは関わった方々の自立が始まっていることに気付いたからです。
自分がやりたいことがないからです。
復旧した地域もあれば、今だ仮設住宅で暮らすなど大きな変化がない地域もあるようです。
このような地域は今も“被災地”と呼ばれ続け、その日になると国を揚げた催し物があり、どのテレビ局も特番を組み「この悲しみをいつまでも忘れないで下さい。」などといろんな人が言うのでしょう。
“被災地”と言われ続けるその場所で暮らす人がいます。
“被災地”が生まれ育った故郷という人もいます。
“被災地”と言われる場所が大好きな人がいます。
マスコミがどう報道しようが、誰がどう言おうが“被災地”は存在しません。
どの地域もその土地の地名があります。
“被災地”なんて地名はありません。
いつまでも、その土地を“被災地”・そこにいた人を“被災者”と表現するのは不適切です。
では、誰が何のためにこのような風潮を生み出し根付かせているのでしょうか?
それは支配・コントロールしたい人達が僕ら一般大衆に対し、恐怖心を植え付けておきたいのです。
だから、この日を忘れないようにと出てくる人がいます。
その映像をテレビをはじめ、多くのマスコミが拡散します。
多くの人が感情を揺さぶられ思考をコントロールされたままになっています。
何年か前までは僕もそのひとりでした。
震災⁇から1年後の2012年3月11日
この日、会社で黙とうがありました。
黙とうが始まる頃から涙が溢れてきました。
テレビで見た当時の映像が頭の中で映し出され、当時のこと・ボランティアに行った時のこと・その他にもいろんな言葉にできない感情がこみ上げていました。
2011年の3月11日という「今」を見ていました。
ボランティアに行っていた「今」を見ていました。
多くの人が悲しみに暮れている「今」を見ていました。
こんな、いろんな「今」に波動(思考)が共振し、感情が揺さぶられていました。
涙が止まりませんでした。
黙とうが終わっても顔を上げられません。
仕事中の顔ではありませんでした。
あの日の出来事を今も受け入れられない方もいると思います。
しかし、いつも言っていますが波動(思考)はエネルギーです。
本当に思考したことのみ実現します。
エネルギーは嘘をつけません。
どんな出来事も全ては思考した結果です。
だからいつまでも“被災地”などと言うのをやめました。
いつまでもこの被害にあわれた方たちを“被災者”にしておくことをやめました。
自己満のためのやさしさの押し売り?やめました。
「被災と復興」これ、何かと似ていませんか?
そうです。戦争です。
武器をつくり売ってそれを使い、お互い破壊し合います。
勝負がついたら勝った方が主導権を握り、統治した上で復興を目指します。
それにより潤うほんの一部の人達が存在します。
戦争は誰かの意図により、準備されたシナリオ通り概ね行われます。
いずれ、いつまでも被災地だ被災者だという考え方は不要です。
むしろその思考を取り除くことが必要です。
もし、サポートが必要な方が居たなら“自立”出来るようにサポートすることが必要です。
自立を促すサポート以外は、いつまでも被災者にしておくことです。
委縮させ、可能性を奪い閉じ込めておくことです。
“被災地”という表現は、上から目線で「可哀そう」と思い、いつまでも「被災者」にしておくようなものです。
“被災地”という概念の脱却には「自立」です。
必要なのは、いろんな意味での、それぞれの「自立」です。
長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
ネットもマスコミのひとつです。
「動画」は活字や音の比ではない情報量であり、感情を揺さぶる大きな影響力を持っています。
「予言」は支配・コントロールしたい人達が実現したいことです。
より確実に実現するために、あらかじめ恐怖心や不安を常に植え付けています。
あなたの真実は目の前で起きていることだけです。
だから、あなたが目にするいかなる映像も、あなたの現実ではありません。