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「今は“正直者が馬鹿を見る”そんな時代だ」なんて言い続ける人がいます。
それホントですか?
今日の疑問:「 正直者が馬鹿を見る!?」どうやって?
これ、幼少の頃から思っていました。
正直に・真面目に・一生懸命やっている人がいつも損な役回りと思っていました。
年齢を重ねるとともに益々その思いが強くなっていきました。
同時に、“正直者”が馬鹿を見なくていい時代になれば・・・といつもいつも思っていたものです。
けど、その解釈変りました。
“正直者が馬鹿を見る”
それは、“良し悪し”や“損得”という概念・思考の癖がもたらしています。
“ずる賢いヤツが得をする”という考え方です。
これらの考え方こそが、“正直者な自分”が馬鹿を見る現実を創造しています。
まさに思った通りの現実です。
耳タコだと思いますが、全ては波動(エネルギー)で出来ています。全てです。
エネルギーに良し悪しはありません。
あるのは軽い(例:楽しい)か、重い(例:辛い)かだけです。
そして、エネルギーは重い方に引っ張られやすいです。
そもそも正直に何かを選択しているのに、なぜ“馬鹿を見る”と感じたのでしょうか?
それは「自分は正しい」という思いからでした。
言い換えれば、相手に対し「〇〇は間違っている!」と言っているのと同じです。
だから、言葉にせずとも対立のエネルギーが溢れ出てきます。
同時に相手へのリスペクトを忘れていることでもあります。
だから、その延長線で争いが起きます。
本来、「自分はこう思んだ。あなたはそう思うんですね。」これだけのことです。
これに気付かなかったので“正直者が馬鹿を見る”とずっと思い続けていました。
「こんな世の中じゃ・・・」っていつも思っていました。
わざわざ、自分をしんどく・苦しく・窮屈にしていました。
わざわざ、ややこしくしていたのは自分の思考です。
“ずる賢いヤツ等”をなんとかしたい感情がありました。
対象となる何かを「悪」と見立て、正義感タップリでいました。
実際のところ、「相手をコントロールできればいいな」というエゴでした。
このことに気付いてから“正直者が馬鹿を見る”という概念がなくなりました。
ず~~~っと忘れていた自尊心を思い出し、全てに対しての尊重を思い出しました。
前回記事でも言いましたが、結局は自分がどうしたいのか?ってことです。
対象になるものがなんであれ、「自分がどうしたいのか?」だけです。
また、“人”という相手なら対話です。
お互いに、どうしたいのか?どうありたいのか?どうなりたいのか?
それを話し合えばいいだけのことです。
一緒に・・・なのか、別々に・・・なのかを決めればいいことです。
パートナーや家族など、身近な相手でさえ、「自分だけが・・・なんで自分が?」
なんて場面あるかもしれません。
“正直者が馬鹿を見る”!?とでも思いながら・・・
そんな時、言葉にしていますか?対話していますか?
「うやむやにするのはしんどいけど、面倒くさいしい・・・」とか
「自分さえ我慢すれば」と感情を押し殺し、対話を避けていること多いのではないでしょうか?
もしそうなら何も進展しません。
何も変わりません。
“正直者が馬鹿を見る”という現実が続きます。
どんなに親しい間柄でも言葉にしないと伝わらないことあります。
言葉にしても伝わりにくいこともあります。
けど自分の思いを外に出し話し合えば、何かしらの選択が出来ます。
内側に閉じ込めておけばだんだん蓄積し膨らんでいきます。
膨らみ続け弾けた時、大変な状況になりかねません。
また、対話すらする気にならないのであれば、それはもう別な答えが出ていると思います。
繰り返しになりますが、僕には“正直者が馬鹿を見る”という概念すらありません。
だって、本当に自分に正直なら・本当に自分に素直なら、馬鹿なんて見ようがありません。
正直者が馬鹿を見るではなく、正直者はバカになります。(笑)
バカとは、まんま自分の証です。(笑)
最後までいただき、ありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
今日も誇りをもってバカになっています。(爆)
“なまけもの” オススメです。(笑)