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昨日、内閣改造の発表のネットでのLIVE中継を見ようと思ったら、築地市場場外の火災の中継に切り替わっていました。
僕が見ていたのはネット中継で、テレビではどのような状況かはわかりません。
なぜ、中継の1時間ちょっと前に外国人にも人気の場所で、もちろん日本でも注目の場所「築地」の営業時間外にこのようなことが起きたのか違和感しか感じません。
あまりのタイミングの良さ!?に、築地の火災の映像を植え付け、国民の反論を少しでも和らげ、かわすための意図的な何か?と勘ぐってしまいます。
なぜなら現総理が日常的にやってきたことだからです。
その証拠の一つとして、最近特にいろんな人の“不倫”にまつわる報道があまりに多すぎます。
国民に直接関係のない、言わばどうでもいい報道を、メディアがいつもどおり繰り返し報道しています。
注目されたくないことを目くらましするための報道が、メディア全般と総理のお抱えコメンテーターたちにより、繰り返し行われています。
このような国民が一番変わって欲しいと思う人が、内閣を改造なんて、違和感しかありません。
このような人たちの言い訳として使われる「失言」とは、どういったことなのか考えてみたいと思います。
今日の疑問: 「失言」とは?
「失言」は存在しません。
あるのは、「失言」ではなく「本音」です。
ついウッカリ出た言葉こそハートの声。
やっぱり「本音」です。(笑)
政治家の失言のほとんどは、上から目線の暴言であり、人権無視の発言が多いですね。
現首相は、主権者である国民を尊重することなく、「虚偽」・「隠蔽」・「捏造」という政治家にとっての三種の神器?+掌握しているマスコミと太鼓持ちコメンテーターという強力な援軍を雇い、最近では政治ではなく、自らのスキャンダルの火消しに必死です。
そして、一般大衆に対しては、尊厳のない憲法違反の日々を送っています。
先ほど、“三種の神器”なんて言いましたが、神はいないし、ただの“まやかし”です。
やっちゃった後も、本人は「やっちゃった!?」という意識もないまま、誰かに促され、仕方なく、組織の体裁と、反発の感情を抑えるために、いやいや“言葉だけの謝罪”をしています。
当人としては、「素直に言っただけなのに謝罪?」と不服に思っているのかもしれません。
だから、仏頂面で言葉だけの謝罪になるのだと思います。
これほど一般大衆と「価値観」が違うなら、そのことを認め、自らの対応を明確にしたらいいと思います。
政治家だけでなく、僕らの日常の中でも同じことはあります。
「失言」なのか「ついウッカリ」なのかは別にして、良し悪しも別にして「本音」だと思います。
少なくともその瞬間・それまでの間、そう思っていたってことです。
仕方ありません。
相手が苦痛やストレスを感じたなら、そのことを伝えるでしょうし、話し合えばいいと思います。
何かを思い出して出た言葉かもしれません。
今まで抑え込んでいた感情かもしれません。
ただ、虫の居所が悪かっただけかもしれません。
とにかく周波数が合わなくなったときは、その人とどうしたいかがとても重要です。
それにより次の行動が変わります。
といっても、まずは“会話”が必要だと思います。
一度冷静になり、互いに尊重しあって話し合いをすることが大切だと思います。
それが出来れば、おのずと答えが出ると思います。
もしかしたら、会話することすらできないかもしれません。
会話するまでに時間を必要とすることもあるかもしれません。
その時は、タイミングを待てばいいと思います。
どれだけ時間をかけても話し合うことすらできない相手、話し合った結果受け入れられない関係なら、無理になんとかする必要もありません。
それほどまでに違う周波数なのですからやむを得ないことであり、棲み分けが必要だと思います。
根本的に“失言”はありません。
あるのは、その時の“本音”です。
その言葉にそれぞれの感情や解釈はあっても、良し悪しはありません。
「出てしまった言葉は消せない!」と言う人もいるかもしれませんが、修正・変更は出来ます。
あくまで、双方の関係性次第ですけどね。
いずれ、一番の根っこは、“相手とどうありたいか?”それだけです。
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出来ました。出来ました。出来ました。
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「本音」に良し悪しはありません。
「言葉」って、直感的・本能的に出ることってあります。
何にも誰にも惑わされないようにしましょう!