この言葉ひとつだけでいろんな解釈があるんですよね。
言葉では上手く表現できない感情が溢れてきます。
あなたはどんな時・どんな感情で使っていますか?
そして、この言葉から受ける感情?印象は?
Q.「気にしない」の意味ってなあに?
A.本当に気にならない。無関心。見てみぬふり。
気付かない。そもそもアンテナなし。
まさに親をはじめとした大人の影響「大」
何度も言ってきましたが、生まれてからの子供時代で、『思考』『行動』の習慣で、人としてのベースが決まると思います。
おおらかな親に影響を受ければ、おおらかな子供であり、大雑把な子供。
繊細な親に影響を受ければ、繊細な子供であり、神経質な子供になると思います。
この2つならば、僕の受けた影響は間違いなく「繊細な母親」です。(汗)
気付いた時には、それがいいことのように、そしてそれこそが僕の「個性」のようになっていました。
時に、そのことにうんざりしていたのも確かです。
それでも間違いなく、とても強烈に、その思考を擦り擦り込まれたのは揺るぎない事実です。
だから、いろんなことに気付いてしまう自分に違和感を感じながら、そして、うんざりしながら「自分をメッタ切り」するのです。
つまり、自分が好きでなくなっていくんです。
与えられたものを自ら熟成!?
影響が大きかったのは今は亡き母です。
繊細?気が利く?等、「いいな」と思う自分、「面倒くさい!」「嫌!」と思う自分がいました。
いずれ、自分もそれに近かったと思います。
小6で目覚め、中学~20代最後までやっていたサッカーが人生のバイブルと思っていました。
「視野の広さ・ひらめき・イマジネーション・創造力」誰でも持っていると思いますが、自分の中での個性なんだろうなと漠然と、そして他人事のように思っていました。
その個性が自分を窮屈にさせる思考になったのかな?と思うようになりました。
「周りがよく見えてゲームをコントロールできる」「読みが早い」「機転が利く」「誰より走る」それがいいことのように、まるで母の教えのようになっていました。
その反面「気付かなきゃ楽なのに・気にしなきゃいいのに・自分がやらなくてもいいのに」そんな風に自分で自分に追い込んでいました。
もちろん母は関係なく自分の問題です。
同時に、そんな時「気にしない」自分になれたらいいと強く思いました。
コンプレックス
この頃、心を整えることを意識していました。
思考の衣替え
気にしない自分・気にならない自分を目指しながらも、相手によっては「それくらい気付けよ!」「そこは気にしろよ!」と不快に思っていました。
そして、バカにされていると思っていました。事実はわかりません。
ただ、そこでの我慢も相当ストレスになっていました。
そんな時こそ「気にしない!」なんですけどね。(笑)
それが出来ないので、「そうなんだ」「今はこうなんだ」と認めることから始めました。
最初意識していると結構変わってきます。
ある程度変わってきても、「3歩進んで2歩下がる」みたいな感じです。
ちょっとづつちょっとづつ、今も変わり続けています。
参考: 解釈の多い言葉
今日のおさらいです!
「気にしない」の意味は、『気にしない』ってことです。(笑)
自分も相手も認めればいいだけです。
相手に振り回されることはありません。
だって相手は気にしていないのに自分がストレスためていたらアホらしいです。(笑)
それでも僕は自分の個性を認め、必要なものは残し・必要でないと思ったら手放す。
そんな風にこれからも思考を変えて生きます。
「3歩進んで2歩下がる」の繰り返しです。
そうすればちょっとづつちょっとづつ進んで本当の自分に出会えますから。(笑)
出会った全ての方に感謝しながら。
そして、これから出会う方に感謝しながら。
ゆるんだあなたが『今』感じたことを、まんまAction!!
あなたの今が、今より心地よく楽しく過ごせますように。
そして次の今も、心地よく楽しく過ごせますように。