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昨日は「付き合う」ということについて、“恋愛?”がイメージにあったのですが、無意識に根本的なことから書き始めたら、あんな感じになりました。
今日の疑問: 「付き合う」とは? ~恋愛編?~
「付き合う」とは、今この瞬間一緒にいたい人同士が一緒にいることです。
次の今がどうかはわかりません。
ひとりに限定されるわけでも、永遠であるとも断定出来るものではありません。
なぜなら、恋愛にルールは存在しないからです。
「付き合う」とは、“波動(氣)が合った”ただそれだけのことです。
僕には“恋愛”という言葉が全くピンときません。(笑)
一緒に居たい人といる。ただ、それだけのことだからです。
「ルール」も「保証」も「拘束」も「介入」も「依存」も必要ないからです。
人は誰かの持ち物ではないからです。
対象は全ての存在です。
といっても、ここまで言い切れるようになったのはここ数年の間です。
ずっと前・結構前・数年前と、なぜか中学生の子から同じ質問を受けることがありました。
「“付き合う”ってどういう意味ですか?何をすることですか?」と・・・
こんな風に疑問に思う子供たちは他にもいると思います。
このように、いつの時代の中学生も疑問に思うというのは、僕も含めた先人が「付き合う」ということの意味を理解していないため、伝えられなかったのかもしれません。
僕等と今の中学生は、「付き合う」ということについての情報の質は何ら変わらないのかもしれません。
違うのは経験の数だけかもしれません。
今まで教えられた常識や、テレビドラマやアニメ・映画・雑誌などで目にしてきたものが、理想の恋愛であり、「付き合う」ということだと思い込んでいるように感じます。
人を好きになることさえ、メディアが提示したマニュアルでしか理解できなくなっていたのかもしれません。。
例えば
一途であることがいいことのように
恋愛は切ないもののように
結婚は幸せという印象操作
結婚は墓場という印象操作
結婚していない人への劣等感を植え付けること
何かが足りないと思わされ“自分磨き?見た目への執着?トレンドへの便乗?
ねばならない主義?
満たされない症候群?
結婚してもしていなくても他の人を好きになるのは浮気=悪いこと(結婚している場合は犯罪)という刷り込み
男は・・・女は・・・親は・・・という常識???
こういう時は〇〇するのが当たり前という洗脳
当事者間の主導権争い
これらによる常識の敷設をされ、深く刷り込まれています。
エゴと依存と主導権争い。
「結婚」というものに対しての意見の相違による対立を誘発されています。
こんなことを繰り返してきた洗脳状態の僕らは、何も伝えられなくて当然だと、今だから思います。
話を戻します。
「付き合う」ってことの質問を受けた時、いつの時も・誰に対しても同じように答えていました。
「決まりごとはないから、自分が思った通りやってみたら?そうすれば何かしらの答えが出て、その先がみえるんじゃないかな。」という内容を伝えていました。
きっと、親でも先生でもない僕だから・適当な距離感がある第三者の僕だから聞いてみたのでしょう!?
当時、伝えたことをどう解釈したかわかりませんが、真剣に答えました。
自分の中の基本スタンスは、その頃と特に変わっていません。
今思うのは、「これが正解みたいに、押し付けるようなことを言わなくてよかった。可能性を奪わないでよかった。」そんな風に思います。
今は、自分の経験・新たな真実が増えたことで、基本スタンスにかなりの肉付けがされました。(笑)
自分の中では自信が深まりました。
いずれ、「付き合う」とは波動が合うかどうかの話です。
個人的には「恋愛」や「付き合う」という表現は不要だと思っています。
わざわざそんな風に表現するからややこしくなっているのです。
何かをしたいことに理由は要りません。
好きに理由は要りません。
ただシンプルに、自分が好きなことをする。
誰かと一緒がいいなら、一緒にいたい人とする。
何をするか・どうするかは、当事者同士で決めればいいことです。
何を選択しても、全て正解です。全て体験です。
少し長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
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