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ここしばらく、旦那が不倫しているとか大騒ぎし、情報を小出しにして“命がけの戦い!?”をしています。
「そんなの2人で勝手にしてください。」と思う僕は、なぜそんなに騒がれているのか理解できません。
今日は、特定のその話題とは一切関係なく、そもそもの部分を考えてみたいと思います。
今日の疑問: ”不倫”とは?
“結婚”という口頭契約?をした人が、ありもしない契約書!?に縛られた状態で、結婚相手とは別な誰かと仲良くした状態。
“結婚制度”を利用し「ストレス増幅」・「監視社会の充実」のために意図して創られたもの。
そもそもあなたは誰かの持ち物ですか?
誰もが、誰かの持ち物であることはありません。
ただし、誰かを自分の持ち物のように扱っている人はいます。
子供は親も持ち物ではありません。
パートナーもそれぞれ、持ち物ではありません。
誰もが『個人』として存在しています。
“結婚”という契約により縛りが生まれ、“自分”という「個人」が失われ、同時に「自由」も制限されます。
不倫は絶対許されない。
夫は大黒柱。
妻は夫を支えるもの。
これだけではなく、もっとたくさんの“常識?”が敷設されています。
準備された常識から外れると、変り者・はみ出し者と言われ揶揄されることもあります。
だから、「結婚生活とは大変。」となり、それも含め“常識”とされています。
契約をしているしていないに関わらず、パートナーシップって何でしょうか?
まずは「お互いの“個人”としての尊重」が必要だと思います。
これがないとスタートを切ることは難しいと思います。
それぞれが、体験したいこといろいろあるでしょう。
一緒にやりたいこともあれば、そうでないこともあります。
“そうでないこと”になった時に、尊重なのか?拘束なのか?
契約をされている人ほど、「契約」があるが故、拘束になりやすいと思います。
“見えない契約書”でペナルティを与えます。
「“不倫”とは恐ろしいもの・その代償はあまりに大きすぎる」ということが、「常識」として、あまりに深く・呆れるほど深く、僕ら一般大衆に刷り込まれています。
だから「他の人とは・・・」という“勝手な制限”を創り出すことによって窮屈になるのだと思います。
刷り込まれたことありきで、更に個人の価値観を押し付けるから、お互いが窮屈になるのだと思います。
そんな状況で“楽しい結婚生活”は実現するとは考えにくいです。
「お互いを尊重する」といっても、常に一緒ではないわけです。
つまり、適度な距離感や、ある種の緊張感?が生まれます。
その距離感・緊張感により、パートナーとの“鮮度”が保てると思います。
だから、コミュニケーションなのだと思います。
「時間が長けりゃいい・短いのはダメ!」ってことではありません。
それはお互いの関係性によります。
その時の波動(周波数)によります。
人はいつも同じ波動ではありません。
その時の波動で、関わる?選択する、人・もの・環境が決まります。
はじめは同じ波動だったけど、少しずつ変わり続けることで、大きく違うことがあります。
周波数が合わない相手と一緒というのはどうなんでしょうか?
必要と感じれば、話し合いというコミュニケーションで疑問がクリアになるでしょう。
それができないのであれば、離れることが必要かもしれません!?
もし、「離れることさえしたくない。」というのであれば、それは、「エゴと依存」以外にありません。
相手がそのような状態であったとしても、それを実現させたのは自分だということです。
契約後、ひとりの人だけを愛し続けるものでしょうか?
そこでの「愛」とはどんなものでしょうか?
他の人を好きになるのはいけないことでしょうか?
あまりに根深く刷り込まれ、「悪いこと」・「犯罪」とされている”不倫”は本来存在しません。
一般に知らされている“不倫”とは、契約?を盾にした枠(檻)の中で、ストレスを与え、監視社会をより強固にするためのひとつの洗脳です。
だから、「“不倫”は悪いこと・犯罪」・「“不倫”は悪いこと・犯罪」・「“不倫”は悪いこと・犯罪」
マスコミをはじめ、便乗者たちが「“私は正義”です。」とでも言いたげに、声高々評論しています。
自分の外側で誰がどんな風に騒ごうが、自分に関係ないことはどうでもいいのです。(笑)
わざわざ対立する必要もありません。
自分が楽しく・心地よく過ごすことだけ考えましょう!(笑)
こんな自分に、今日も夢中です。(爆)
長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
過去記事も、よかったらご覧下さい。
「所有」という概念を植え付けるための代表的なもの。
「正義」を振りかざす人ほど、“命をかけ”、“悪?”と戦います。
このように「常識の敷設」が日常的に行われています。