ご訪問いただきありがとうございます。
つい昨日、友人と会ったときに、「最近読んだ本で、小学校を1か月で卒業した子がいるんだって」と話したら、「学校にも行かず、自分で出版社に電話して本を出している子がいるんだよ。」と切り返されました。(笑)
Q.「不登校」ってなあに?
A.「可能性」らしいです。
投げかけられた質問①
半年前くらいの話ですが、初対面にも関わらず、中学の娘さんのことで質問されました。
学校が嫌で仕方がなく、その傾向が小学校の頃からあるんだけど、行かせ続けるかどうか悩んでいるようでした。
お母さんとしては、「無理に行かなくていいよ」と伝えていて、旦那さんも同じ意見のようでしたが、当の娘さんが迷っているようで、僕に「どうしたらいいでしょうか?」という立ち話の中での質問でした。
もしかして、なんのしがらみもない初対面の僕だから、聞いてみたかったのかもしれません。
僕は細かな事情は分かりませんが、「娘さんが自分で決めたらいいと思います。」と答えました。
ご両親とも、どっちに転んでもいいと言っているし、現に娘さんの答えが出ていないということだったのでそう答えました。
その後、お会いすることがありましたが、その話題はなく、娘さん共々、にこやかにされていました。
どっちを選んだのかはわかりませんが、「迷いなく決めた!」ということだけは感じました。
タイトルどおりです。
投げかけられた質問②
また、別な知人の娘の小3?の女の子から、「なんで学校で勉強するの?」「大人になっても必要なの?」「なんで休みも決まっているの?」「ゆるむ@さんが小学生だったら、学校に行く?」「私行きたくないんだよね~」って、しゃべりはゆっくりなのですが、立て続けに聞かれました。
更に、「お母さんはどっちでもいいっていうけど、お父さんはダメ!っていうんだよね」って・・・
僕はひとつだけ答えました。「自分が今、小学生なら行かないよ!」って。
「ふ~ん・そっか~」って言いながら、駈け出していきました。
今も、たまに会うと、周りを確認して愚痴を言ってきます。(笑)
タイトルどおりです。
昨日の話題の2人
僕が本で知った子をA君・友人が教えてくれた子をB君とします。
【A君】
現在12歳で、小学校はひと月通っただけで、中学にも行っていません。
行かない理由は、「つまらないから」だそうです。
家では専用iPadがあるそうで、アニメを見たりゲームをしているそうです。
アニメを暗記するくらい何度も見ていることで、会話・言葉・思考は、親が突っ込まれるくらいの状況だと言っています。
更に、つい最近までは、母親やお兄ちゃんとも会話がなかったそうです。
そして、食事に関しては、お父さんの出した食事以外は食べず、1週間海外に出かけたときなどは「食べないからいいよ!」と言って食べなかったそうです。
【B君】
現在11歳で、9歳の時に今の学校の在り方に疑問(学校で教わっているのが事実ではない)を感じて、自分の意思で学校行くのをやめ、自宅学習しているそうです。
彼は出版社に自ら売り込み、本も出版しています。
テレビにも出て、ホリ〇モンとも対談しているようです。
そのB君が『「不登校」という単語をネガティブにしているのはその人自身。僕は「不登校」と書いて「可能性」と読んでいる。』と言っています。
【B君への3つのQ&A】
「なぜ学校をやめたか」→「学校が嫌だから」
「友達と遊べるじゃん」→「それが楽しいかどうかはわからん」
「何している時が楽しいの?」→「自分である時が好き」
自分が自分でいること。
彼らの共通事項
A君・B君だけでなく、僕に質問をしてくれた2人の子も、親御さんが子供としてではなく、ひとりの人間として、その意思を尊重しているということです。
そして彼らは学校というピラミッドの中にはいません。
だから彼らも親御さんを尊重し、お互いが尊重しあえているということです。
昨日は尊重出来ない理由は、「ピラミッドにいてハートが満たされないから」、と述べましたが、今日はたまたま、それを具体的事実としてお伝え出来ました。
このたまたまが、必然なんですよね。
昨日この話題を話した友人にも心から感謝です。ありがとう。
そして今、こうして書いている自分が一番うれしいです。(笑)
個々を尊重しあい認め合うこと
今日のおさらいです!
「不登校」とは「可能性」です。
本当にそのとおりだと思います。
そこに行くから、事実でないことを刷り込まれ疲弊していくのです。
考えることを忘れ、疑問すら感じなくなり、思考が停止するのです。
そして、自ら、「可能性」を放棄しているのです。
これ、とても大切です。
結局は、自分の思考です。全て自分次第です。
良いも悪いも、〇も☓も、誰がどう言ったも関係ありません。
状況も・老若男女も、何もかも関係ありません。
そしてB君の言葉にもあった、学校で教わることが事実と思えない。
更に「自分である時が好き!」これには強く共感です。
ただし、比較は不要です。
意見が違ったっていいんです。
尊重しあえていればいいんです。
なぜなら、誰もが唯一無二のかけがえのない存在だから。
今日も長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました!Yeah!(笑)