昨日も書きました。
あなたはいつだって、唯一無二の存在なんですから!って
同じ人なんていないんです。だから存在しているんです。
ってことで今日の疑問です。
Q.「普通・常識・当たり前」ってなあに?
A.無いと言えばないし、あると言えば人の数だけあります。
自分も周りも、ついつい何も考えず使っているこれらの言葉、ちょっと落ち着いて考えてみようと思いました。
自分なりではありますが、「普通・常識・当たり前」って言葉を使わない様にしよう。
そして人のことを決めつけない様にしよう。って、かなり前から意識はしています。
なので、今ではさほど意識することなく、自然にそれらの言葉を使わないようになりました。
もちろん完璧ではありませんが、そんな感じでいいと思っています。
そんな風に考えるようになった理由があるのかと言えば、何もありません。
ただ、その頃、深~い意味もなく、『楽しいのが良いなあ』『楽しくなければ意味がないなあ』って自分の中では、呼吸するのと同じくらい、それが『当たり前!』(笑)と思っていました。
そのためには、あの人はこうとかどうとか決めつけないことにしよ~てな感じでした。
いざ、周りはどうかと言うと、「普通・常識・当たり前」これらの言葉が割と目立ちますし、特に意識していないことも理解しています。
それはそれとして、実際、個人個人の解釈があって、「算数なら答えは一つ」ですが、事柄によっては、「感想文のように人の数だけ答えがある」というのも事実です。
それがわかっていると、自然に相手を認めること・受け入れることが出来るようになります。
そして、それぞれの考え方の癖もおのずとわかってきます。
例えば、あなたとAさんの共通項、あなたとBさんの共通項みたいのが解ってくるわけです。
そうすると、その共通項に関してはAさんとの、「普通・常識・当たり前」だったり、Bさんとの、「普通・常識・当たり前」になるわけです。違うところは、それぞれが認めればいいだけです。
それが出来るだけで、対立・言い争いは起こりにくくなります。
それだけで楽しい環境が出来やすくなると思います。
今日のおさらいです!
「普通・常識・当たり前」は、無いと言えばないし、あると言えば人の数だけあります。
このブログで何度も、対立はしないようにしましょう!って言ってるのは、そういうことです。
話し合いは必要な時があっても、争いがなければ結構楽しく過ごせると思うんですよね!
まずは個々を尊重し、認め合う。
あなた自身、あなたの「普通・常識・当たり前」を押しつけないで下さい。
そして、逆に、それを押し付けられ、ストレスを感じるなら、考え方(思考)が違うなら、離れればいいじゃないですか?そこにいる必要も、一緒にいる必要もありません。
離れて住み分ければいいんです。
同じ部分だけ関わればいいじゃないですか?
そうすれば対立もありません。
思考のミニマリスト、「ゆるみすと」・「のんきー」になったら楽しく過ごせますよ(笑)
「あなたにとって、心地いいものだけ残せばいいと思います。」
全部同じ考えだという人が、存在しないことが、「普通・常識・当たり前」だと思います。
なぜなら、あなた自身、唯一無二の存在だから。
閃いたこと、感じたことを、まんまAction!!
あなたの今が、今より心地よく楽しく過ごせますように。
そして次の今も、心地よく楽しく過ごせますように。