ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:「しがらみ」ってなあに?

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今の僕に、これ存在しません。

厳密に言えば、日本という国で生活している時点で全くない人なんて存在しません。

ですが、それ込みでも、僕には存在しません。

「どっかおかしいんじゃないの?」って?

いえいえ、ハートのセンサー絶好調です!(笑)

 

 

Q.「しがらみ」ってなあに?

 

A.自分の曖昧さがつくるもの。

 

 

はじめての「しがらみ」

子供の頃から、「しがらみ」って言葉は知らなくても、その状況ってなんとなく理解していました。

「付き合い」・「人付き合い」という言葉で言われたりもします。

そして、それは、仕方ないものであり・必要なものであり・大切なものだと言われていますが、本当にそうでしょうか?

僕の中でそれを感じたのは、物心ついてすぐでした。

それは親戚の集まりです。

そこでの両親の姿です。

何が話されていたのかはわかりません。

ただ、子供ながらに感じていました。

一方的に心無い乱暴な言葉を両親に浴びせられていること。

お願いの言葉が、命令にすり替わっていること。

おかしいけど、自分らが何とかしなくてはいけないと思っている両親。

同じような光景を何度も何度も見ました。

長~い長~い年月が経ち、謝罪があり、今は心地いいい関係で関わっていると聞いています。

かなり端折りましたが、最初に経験した「しがらみ」は、複数の親戚との関りでした。

 

多くの親戚の方々が僕にとっての最初の反面教師でした。「ありがとうございます。」


 

集団生活

生まれてすぐ、「親」という存在がいて「家族」という集団があります。

幼稚園や学校、そして地域の集団もあります。

そして、会社などの集団もあります。

集団になった時点で、「比較」や「競争」などというものが始まり、誰かがつくった「常識」ってヤツを刷り込まれます。

そして、「みんなやってるから、みんなと同じにしよう。同じがいい。」

「仕方ない」・「諦めよう」などと「妥協」します。

では、どうして「妥協」するのでしょうか?

それは面倒くさいからです。

もめたくないんです。

結果、我慢しています。

諦めています。

最後は、「こういうもんだ」と深~く深~く刷り込まれます。

つまり思考をコントロールされ、疑問を抱くこともなくなります。

これこそが、今ある教育システムであり、社会システムの根幹です。

ですが、大切なのは「自分がどうしたいのか」この1点です。

しがらみって誰かのせい?のように言われましが、「自分の曖昧な思考」が、「楽しくない現実」を創っているだけです。

あなたのことは誰にも決められないのです。

自分が決めれば済む話です。

曖昧は次の曖昧を呼んできます。

つまり、楽しくないことが続きます。

曖昧を止めるまで続きます。

 

「NO」の時は「NO」って言って下さい!


曖昧さは、「次の楽しくない」を連れてきます。やめるまでエンドレスです。


 

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 今日のおさらいです!

「しがらみ」は、自分の曖昧さがつくっています。

必要なのは、「あなたがどうしたいのか」だけです。

 

 

最終判断は、あなたです!

集団が大きくなればなるほど、その大きなピラミッドで「しがらみ」がつくられる場面が増えます。

学校や会社などという集団生活の中でも、「自分はこうします」という意志表示は必要です。

対話はあった方がいいと思いますが、対立は必要ありません。

違うなら、そっと離れればいいんです。

 

「関わりたくないなら関わらなきゃなきゃいいんです。」

相手の顔色を伺って、相手中心って違いますよ。

あなたの中心はあなただけですから。(笑)

ロボットみたいに、マインド(頭)で損得勘定ばかりしていたら、ハート(本当のあなた)の声が聞こえなくなっちゃいますから。

そもそも、マインドで行われる損得勘定なんて、あてになりませんから。

 

マインドを手放して、本当の自分を生きてみませんか?

誰かがつくった人生を生きるのか?

自分が描いた人生を生きるのか?

最終判断はあなたです!

あなたがどうしたいか、それだけです。

 

「世間体」より、「あなた優先」で生きましょう!


 

最後までご覧いただき、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!

そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。

出来ました。出来ました。出来ました。