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マナーは幻想

ご訪問いただきありがとうございます。

 

ここ数年「八方美人」という言葉、全くと言っていいほど見聞きしていません。

その反対に「お願い」や「マナー」などと言う言葉をとても多く見聞きするようになりました。

しかし、少し前から「お願い」すら見聞きしません。

そして「個人の判断」というワードが目に付くようになりました。

こんな風により多く見聞きする言葉ってほとんどはマスコミの影響なのかな?って思っています。

そんな中、マスコミが改めて言わなくても浸透しているのが「マナー」だと思います。

そう。

わざわざ言うまでもない。

当たり前

それがマナーってことなんでしょうか?

 

 

マナーは幻想

 

この数年で、巷では「マナー」という概念に多くの項目が追加された印象があります。

増えただけでなく、このマナーに対する執着心が強くなった気がしています。

そもそもマナーってなんですかね?

そう言えば、マナーは礼儀だという人ってボチボチみます。

ルールでもないし、罰則もないけど、人として当たり前のことだと・・・

ん~~

マナー?

その表現が必要かどうかすら僕にはわかりません。

人としての常識・当たり前なんて言われても

それはその人の考え方であり、価値観なわけで

それを不特定多数の第三者に押し付けるのはどうかと思うんです。

また、個人の印象ですが「マナーを守れ!」とか、そういった類のことを言う人って

決まって不機嫌な表情でケンカ腰です。

そもそも自分が正しいと思っています。

だから気付かせてやるんだ!

間違いを正してやるんだ!

そんな感じです。

しかも、自分に同調する人の存在を知ると

「ほらね」って感じで益々強気になります。

昔の自分もこんな感じの時ありました。(苦笑)

正義感が強いとか、責任感が強いとか、曲がったことが嫌い?

(不要なことばかり💦)

正直、そこまでの意識はありません。

ただ、周りにそう思われていることは知っていました。

そして、周囲のイメージどおり演じていた自分も居ました。

 

結局ね、冒頭に述べたとおり

自分が正しいと思っていたんです。

自分の価値観を押し付けていたんです。

つまり、コントロールしようとしていたんです。

周囲の期待?に応えようとしていたんです。

そもそも期待はエゴなわけで

それを知りながら乗っかっていた。

幼少の頃から大人達の価値観を押し付けられるのが大嫌いだった自分が

大人になってやらかしてた。。。

そして、やらかしたって気付いた時にわかったこと。

それまでは、やらかしているという認識が無かったということ。

気付いた時、ショックでした。

罪悪感に苛まれました。

自分が嫌だと思うこと。

自分がおかしいと思うこと。

それをしていたこと。

めちゃめちゃ自分を責めそうだったけど

めちゃめちゃセルフイメージが低下しそうだったけど

すぐに切り替えました。

マナーも常識も人それぞれ。

「みんな違う」

このことを忘れないようにしようと思いました。

 

そもそも全ての個人は唯一無二の存在なわけで

常識も価値観も人それぞれ違うわけで

もっと言えば、そんなものは存在しないわけです。

数が多いのが正しいとかもありません。

○○が言っているから正しいなどということもありません。

暗黙の了解などと言うならば、それは強者(権力者)による恐怖による支配です。

そもそも、正しいも間違いもありません。

ただ、「違う。」

それだけのことです。

違うことが個性です。

個性がアイデンティティーです。

自分である証です。

 

 

結局、マナーってのは幻想だというです。

マナーの概念は、日常生活の中で何気なく繰り返し行っているうちに無意識でつくられたりします。

そこで重要なのは、無意識でつくられている部分です。

その無意識は自分の意思なのか?

他人の刷り込みなのか?

前者なら、自分がやりたいことや好きなことをしていると思うんだけど

後者だと、好きでもないことや望まないことや嫌いなことをやっていると思うのね。

結局は我慢しながらやっているってこと。

嫌だという感情はあるけど、それを押し殺して我慢している状態。

これぞ洗脳であり、思考停止状態。

そりゃ~楽しくないわ~。

心にも頭にも時間的にもゆとりがありません。

要するにエネルギーが枯渇しています。

だからエネルギー探し求めるのです。

無意識かどうかは別として他人からエネルギーを奪おうとするのです。

 

こうしたことがわかると他人のことが気にならなくなります。

元々、他人にはあまり興味はありませんが更に薄れます。(笑)

それより自分のことに意識が向きます。

自分が中心になります。

自分が気分よく過ごすことだけ考えるようになります。

だからピラミッドの中にはいようとは思いません。(笑)

ピラミッドを離れると、気持ちにも頭にもゆとりが生まれます。

自分同様、他人にも寛容になります。

少々面倒なことがあっても

シンドイことがあっても

それをゲームだと考えるようになります。

こんな風にのん氣がデフォルトなので

こんな僕を見て、ツレが不安そう?と感じる時があるんです。

そんな顔をみせられると「こんなんでいーのかなー?」って思うんですけど

すぐに、「これでいいのだ。」って思います。(笑)

「このまま4んでも仕方ない。満足。」って思えます。(笑)

 

 

結局、今日なにが言いたいかと言えば

誰かがつくった概念(幻想)に振り回されない。

誰にも従わない。

誰にも介入しない。

他人のことより自分のこと。

 

所詮、他人は他人だから。

自分以外の全てが他人だから。

だから自分をみてればいい

自分を感じていればいい。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

こちらの記事も、よかったらご覧下さい。

 

「マナー」=「暗黙の了解」

個性を破壊し、従属する集団をつくる。

 


 

個人:唯一無二の個性を持っている。

人:個性を失っている。奪われている。

あるいは、忘れてしまった。放棄してしまった。

→個人としては4んだも同然。


 

あらゆる「嫌」と関わらない。

もちろん、かまってちゃんもね!

 

 

自分次第。