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「意地っ張りなんだから」と親に言われている子供を見て
「いんじゃない」と思わず声が出そうになりました。(苦笑)
どこか微笑ましく どこか懐かしい感覚
今日の疑問:「意地っ張りなんだから」と言う側と、言われる側のそれぞれの思いは?
「意地っ張り」というと頑固とか、聞き分けの無いヤツって印象がありました。
なぜなら、「親が子供に言う言葉だから」という印象があったからです。
また、学校や社会に出てからも相手を否定する時に使う表現が殆どだったからです。
しかし、僕と両親の間では幼稚園の頃から違っていました。
その違いは、時が経つにつれ確信に変わっていき今に至ります。
「意地っ張りなんだから」
言う側:コントロールしたいと思っています。
相手を否定すると同時に自分を正当化し
その上で、自分のシナリオどおりにことを進めようとします。
言われる側:素直な感情表現をしています。
伝わらないと思うから同じことを繰り返します。
結果、相手の思いどおりにならないため「意地っ張り」のレッテルを貼られます。
僕も親には随分言われました。
言われる言葉は同じでしたが、親が僕に対する態度が変化した時すぐに気付きました。
気付いたのは幼稚園の時です。
それまでは「叱られている」という状態でした。
「何度同じことを言わせるの?」って感じです。
ところが「意地っ張りなんだから」の後に、「けど・・・・・・・」と言われるようになりました。
目の前で、親戚や近所の人にその話をすることがありました。
僕は、気恥ずかしくてその場を立ち去りました。
想像ですが、親は僕の思いを理解し受け入れていました。
子供というより、ひとりの人間として見ていてくれたと思います。
僕の想像は、年齢を重ねるごとに確信に変わっていきました。
「意地っ張りだもんな」といいながら笑っていました。
特に何かが出来たわけでもありません。
ただ、決めたことは氣が済むまでやっていたと思います。
「そんなにしてまでやる?」
「いい加減やめたら?」
言葉にしないまでも顔に書いてあるときありました。
反対に「もう飽きたの?」と聞いてくることもありました。
思い返せば、物心ついて間もない頃からず~~~っと、ひとりの人間として尊重してくれていました。
だからこそ、社会に出ていろんな場面で違和感を感じていました。
「ムダ」は無いよ。
「今更」なんてことも無いよ。
小学生でもスポーツをしていると、そこには上下関係がありました。
さらに試合に出る出ないで格差のようなものが生まれます。
中学高校になると上下関係は更に強まります。
どこか絶対服従みたいな・・・
それは教師に対してもありました。
僕はそれが嫌でした。
だから僕は学年がひとつ上がることに、おかしいと思った伝統らしきものを変えていきました。
学年に関係なく、試合に出る出ないで差別せず対等に関わりました。
別に“いい子ちゃん”になりたいわけじゃなく、幼少の頃からの僕の基本スタンスなだけです。(笑)
生意気だとか、調子乗るなとかいう先輩もいました。
多少嫌な思いもしましたが、かと言ってスタンスは変えませんでした。
そのうち先輩も何も言わなくなりました。
それまでの上下関係も緩やかになりました。
ところが、社会に出て仕事に就くと幼少期からの基本スタンス。
親から学んだ“対等な人間関係”ってものは、ほとんどありませんでした。
年功序列と役職序列のミックスみたいな不思議な世界。
確かに、学生時代もありましたよ。
順位付け、格付け、学歴差別など諸々・・・
ちなみに学歴差別は今も続いています。
正直、空気感である程度の想像はつきました。ある程度は・・・
同じ高卒の3つ年上の先輩を見れば自分の3年後が想像出来ます。
5つ年上の先輩、10こ年上の先輩、上司やいろんな肩書を持った人
ここに居る大人達を見れば自分なりにいろんなことが想像できました。
だから、すぐに辞めようと思いました。
なのに、少しづつ妥協し、少しづつ感情を押し殺し、少しづづ理想を描くことをやめていきました。
不満が無くなることがないまま、ぶら下がっていました。
今思えば、最初の職場でとても親切にしてくれる人がひとりいたから一旦踏みとどまったのかもしれません。
当時の自分とベクトルが同じかもと思えたから・・・
月日の経過と共に、その時々に同じベクトルと思う人がいました。
会社の中の人だけではありません。
その時々で入れ替わっています。
なぜなら、自分も変わるし、相手も変わる。
中にはほとんど変わらない人もいます。
要するに、個人個人その時々で波動(周波数)が変わるってことです。
だから初対面なのに妙に氣が合ったり
反対に、少しづつ離れ、気付いたら居なくなっていたとか・・・
けどそれは、どちらがどうというのではなく、単に周波数が合わなくなったってことです。
そもそも、波動(周波数)に良し悪しや優劣はありませんから。
もし、この異なる周波数をチューニングするならば2人の会話が必要です。
しかし、どちらかが、もしくはお互いにチューニングする氣が無い場合は離れるでしょう。
離れるのは残念なことではなく、むしろ自然なことだと思います。
周波数の確認です。
チューニングするかどうかの確認です。
唐突ですが、思い出しました!
元旦に初対面の年配の方に「仕事しなさいよ!(野菜の)自然栽培を広めなさいよ!」って言われたんです。(爆)
会社を辞めて3年半以上過ぎますが、こんな風に言われたのが初めてで、驚きより笑いが出ました。
会話の途中で、「素直じゃない」とか、「意地っ張りだ」とかも言われたんですよね。(笑)
そこで「僕、めちゃめちゃ素直に話しているじゃないですか~」って言ったんです。
すると「あー言えば、こー言うんだから・・・」
更に「僕をコントロールしようとしています?」と聞いてみたんです。
そしたら、心当たりがあったのか爆笑していました。
最後は「今日から私の息子だ。またね。」と言い残し帰って行きました。(笑)
コントロールされずにいると、「扱いにくいヤツ」と言われたりします。
けどさ、誰かが誰かをコントロールする必要なんてないんだから、これでいいのだ!(笑)
まあ、意地になることも、妥協することも無いってことで
周りがどうでも
世界がどうでも
僕は自分に素直に生きますよ。
「誰か」じゃなく「自分」にね!
あなたはどう生きますか?
何に素直でいたいですか?
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。