ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:“疑問”を持つことの意味

ご訪問いただきありがとうございます。

 

幼稚園の時?その前から?

多分、1、2年の間だったと思います。

布団に入りひとりになると毎晩考えていました。

(だから、毎日寝不足です。苦笑)

「人はいつからいるのか?」

「どうして(何のために)いるのか?」

これが僕が生まれて初めて抱いた大きな疑問です。

 

 

今日の疑問:“疑問”を持つことの意味

 

 

「人はいつからいるのか?どうしているのか?」

同じ子供には聞きづらいし、変に騒がれるのが嫌なので聞きませんでした。

また大人に聞いても答えてくれる大人は居ませんでした。

中には「どうしてそんなこと思うの?」と、逆に聞かれるばかりです。

だって顔を見ればわかります。

言われなくてもわかります。

「面倒くせえこと聞くんじゃね~よ。」という“氣”でわかります。

「お前、頭大丈夫か?」みたいなエネルギーでわかります。

だから段々聞かなくなった。

聞ける人が居なかった。

聞きたい人にも出会わなかった。

毎晩自分で考えても答えが見つからなかった。

年齢を重ねるごとに、考えることも少なくなった。

けど、心のどこかで諦めていませんでした。

 

 

中学生になって、日本史の授業の中で、長かったはずの縄文時代の情報がとても少ない印象でした。

僕は直感的に「おかしい!」と思いました。

先生が説明できないこと・教科書に書かれていないことことは「原始的だった。」

の一言で、多くをことを片付けられている感じがしてならなかった。

そのことを先生に聞いたら「これ以上の情報はない」みたいなザックリ過ぎる返答だったんです。

「教科書に書いてあるとおり。」と言わんばかりに・・・

根拠なんかありませんが、僕はこの教科書自体がおかしいと感じました。

この瞬間、何かがプツンと切れました。

感情的にキレたのではなく、あの頃と似た感覚だったんです。

「人はいつからいるのか?どうしているのか?」と聞いた時の

冷めた大人たちの反応と同じような感覚。

同時にこれから習うであろう歴史ってものが嘘だと思いました。

なぜ?と聞かれても理由はありません。

ただ、そう思った。

それまでは、もしかしたら歴史の授業をキッカケに人間の存在についての疑問が・・・

 

一気に、学校で習う歴史に興味がなくなりました。

同時に嘘を詰め込まれたくないと思いました。

だから世界史も含めほとんど学校で習う歴史は知りません。(苦笑)

テストでもほとんどわかりません。(笑)

さすがに白紙や“0点”だけは避けようと思ったので、少しだけは覚えました。

けど、そもそも暗記が苦手だし、興味がないからマジで覚えられないんですよね。(苦笑)

それでも、「少しは点数とらないと」みたいになっている自分が嫌でした。

何かに屈している感じがして苦痛でした。

この頃、歴史だけでなく、大人達が言ういろんなことが信じられなくなっていきました。

 

幼少期からの大人達への感情の蓄積もあって、ごく一部の大人を除き、大人を信用しなくなりました。

そんな大人達を見て、自分が大人になることにも抵抗を感じていました。。

おかげでおかしな口癖が生まれました。

「じじいになる前に死んでやる」(笑)

ちなみに、今も世間で言う「大人」という概念が嫌いです。

 

 自分の中では「大人」という概念はありません。


 

話を戻します。

学校で習う歴史から、幼少の頃からの疑問をひもとくヒントがあるかも

と期待していたことで、反動が大きかったことは間違いありません。

学校で習う歴史はさっぱりでしたが

幼少の頃の疑問については、長い月日が経て、答えを見つけました。

日本史でも世界史でもなく、宇宙の歴史を知りました。

その中には人間誕生についても含まれています。

更に10年近く経って、より深堀された宇宙の歴史(学校で習うはずの歴史も含め)を知り確信に変わりました。

 

 中学の時の淡い期待、これってエゴだったんですよね。(苦笑)

 

 

疑問を持つことの意味って、字の如く“疑うこと”

“疑う”のは、人ではなく、あらゆる情報です。

 

 

これまでも何度となく述べてきましたが、情報はまき散らかされています。

何かを隠しながら、どうでもいい情報を刷り込む。

だから、「自分で判断し、自分で決める。」ってことなんですよね。

自分の目で見て

調べて

やってみて

感じて

その上で、答えを見つける。

自分にとっての事実を確定させるってことです。

根拠がなくても腑に落ちたものが自分にとっての正解です。

 

 

以前はミスリードする人達の情報に引っかかりたくないと思っていました。

それって不安です。

不安は重くて楽しくないエネルギーです。

しかし今では、少しづつ、より直感的に判断出来るようになってきた感じがしています。

ハートのセンサーが「違和感」を感じたなら、関わらない。

もしくは、すぐに判断しない。

そもそも、自分の波動(周波数)と違うものとは関わる可能性は少ないでしょう。

何かしら共通のものがなければ、同じ空間に居ることはあり得ません。

 

 

あの人がこう言っている。

あの時はこんな風にしていた。

今までずっとこうだった。

そんなんじゃなく、ゼロベースでどうなのか?

自分がどう思うのか?どう感じるのか?

結局は自分で決めるしかないんですよね。

 

 ↑ これらは全て既成概念です。


 

これまでここで述べてきたことも、微妙に変化していることがあります。

人は変わります。

これまでの知識・情報が間違っていたと気付けば、当然認識(思考)は変わります。

この変化こそが進化です。

 

「疑問を持つこと」=「進化させること」だと「今」思いました。(笑)


 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。