ご訪問いただきありがとうございます。
以前の自分はこんな風に思っていました。
窮屈だと思いながら
違和感を感じながら
ずっと長い間・・・
今日の疑問: 「必要とされる人になりたい」とは?
「誰かに必要とされたい」
このように思う時、自分ではない誰かを・何かを真ん中に置いています。
自分を後回しにすることを「親切」とか「気配りができる人」、はたまた「人間性が高い」などと表現します。
これは誰の考え方?誰の常識?
それが何?だから何?
あなたの居場所が真ん中でない時、あなたはどこにいますか?
真ん中にいる存在のとなりですか?
それともずっと離れたとこですか?
真ん中にいる存在は、真ん中にいるのではなく「組織の中心」にいます。
つまりピラミッド型のてっぺんにいます。
世界中に多くのピラミッド型組織が氾濫しています。
ほぼ全員が、組織のてっぺんにいない人です。
「必要とされる人になりたい」とは、“組織”又は“特定の個人”に対しての「忠誠」であり「依存」です。
「(感情を押し殺し)従っていればなんとかなる」という「忠誠」
「ここに居ればなんとかなる」という「依存」
自分の真ん中に“自分”を置くと「自分勝手」などというレッテルを貼られます。
まるで、誰かを何かを崇拝しろと言わんばかりに・忖度しろと言わんばかりに。
また、「人に迷惑をかけるな!」これは親や学校という場所・世間という集団の中でよく言われます。
更に「人の役に立つ人間になれ!」などと言われてきました。
これが現代社会をつかさどる“洗脳狂育”の一つです。
そうです!「必要とされる人になりたい」と思うのは、まさに「洗脳状態」そのものです。
だからテレビは、その姿・そのインタビューを映像で映し出し、更にその洗脳を根深く刷り込みます。
その為にスポーツや芸能などというものが存在します。
分かりやすいのは、やはり世界が舞台になるオリンピックでしょうか?
活躍した人はメディアに持ち上げられ、社会的地位の高い人?と言われる人と面会するようセッティングされます。
しかも段階的に。
そして「No」が言えなくなるところまで行くと、「No」が言えなくなる自分を演じ続けることしか出来ません。
この状況から抜け出すのか、言いなりで居続けるか・・・
“社会的地位の高い人?”このように言われるのがどんな存在なのかを想像してみて下さい。
その存在はトップでないにしても、社会と言われる中の中枢にいる存在でしょう。
メディアをコントロールできる存在でしょう。
だからメディアは真実を伝えません。
同時に、多くの大衆をコントロールできる存在だということです。
いずれ、「必要とされる人になりたい」と思うことは自分が「主」ではなく「従」だということです。
どんな存在も本来、「主従関係」などないことを思い出して下さい。
支配・コントロールしたい存在が刷り込んだだけで、そもそも特別な存在などいません。
誰もが宇宙に唯一無二で存在する大切な存在です。
そして、全ては繋がっています。
だから、感謝と尊重です。
だから、何かを崇拝することは必要ありません。
だから、何かにすがることも意味がありません。
「必要とされる人になりたい」なんて考える必要は全くありません。全くです。(笑)
だって、誰もが必要な存在だから!!
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出来ました。出来ました。出来ました。
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過去記事も、よかったらご覧下さい。
テレビの必要性というより、「誰が何の目的に」という観点で見ると現状が見えるかな!?
「組織の中で活躍する人」≒「必要とされる人になりたい人」
「天皇生前退位」について最近ほとんど耳にしませんが、その前にピラミッド型社会を維持するために大慌てで、いろんな動きがあるような気がします。
『憲法改正草案の1条』の行方が、日本だけでなく世界に大きな影響をもたらす気がします。